梶原館 由井氏館跡 川口兵庫介館跡(川口氏館跡)【八王子市】


スポンサーリンク
スポンサーリンク

京都八王子市にある梶原城(梶原館跡)、由井氏館跡、川口氏館跡の3本立で参ります。

梶原城(梶原館跡)

梶原城(梶原館跡)は東京都八王子市元八王子町にあります。
現在の八幡神社の裏の丘(標高195m)に館があったと言われており、比高は現在5mです。

 スポンサーリンク


相模には梶原館と称する史跡があちこちにあるのですが、ここ元八王子の梶原館跡の場合、梶原景時の母が横山党・横山孝兼の娘であることから由来されているようです。
鶴岡八幡宮から勧請したとされています。

梶原城(梶原館跡)

梶原景時の本領は寒川のほうだと推測致しますが「梶原景時の城館」の伝承どおり、母の関連で、一時、ここに屋敷(又は別荘)などがあったとしても、おかしくはないです。

梶原城(梶原館跡)

現在、館があったとされる梶原八幡神社背後の山は、中央高速が通っており、遺構は失われているようです。

梶原城(梶原館跡)

ただし、八王子城の戦い直前に、なんらかの防御に使用された可能性もあるかと存じます。

神木梶原杉

上記は、参道にある「神木梶原杉」です。樹齢800年でしたが、倒木する恐れが出て昭和47年に切られたとあります。
寿命とは言え、残念ですね。

梶原八幡神社への行き方ですが、下記の地図ポイント地点となります。
なお、グーグルマップの神社場所は右にずれていて、間違いですので、ご注意を。
車の場合、東側の道路から回り込んで境内に止められますが、道は細いです。
小生の場合には、ジュースを買いがてら、南側のスーパーに止めさせて頂いて、徒歩にて攻めました。

由井氏館跡

武蔵七党の西党系である由井氏(由比氏)の館跡です。
この報恩寺山あたりが由井氏館跡と推測されているようで、皆さま、弐分方町の観音堂を訪れる事が多いようです。
そのため、観音堂に行って参りました。

西党と言えば、一ノ谷の戦いで有名な平山季重がおりますが、平山氏は現在の日野市ですのでちょっと離れています。

由井氏館跡

由井氏は由井牧の別当でしたが、次第に横山党の勢力拡大で由井牧を追われたのでしょうか?
もともと、八王子の由井と言うと、現在の北野から片倉城辺りを言いますので、この弐分方町とは異なります。

なお、1317年に「由井本郷」の天野新左衛門の娘で、由井氏に嫁いでいた是勝尼が「源三郎屋敷」の所有をめぐって訴訟を起こしています。
是勝尼が勝訴したとありますが、その後の由井氏については不明です。

ちなみに、戦国時代の1559年、北条氏康の子・北条氏照が、滝山城主・大石定久の養子となりましたが、自領内各村への発給文書は「油井源三」の名を使っています。
これは、多摩地方の由井領(油井領)が北条氏照の領地であったためですが、ここが本拠と言う事ではありません。

由井氏館跡

観音堂のすぐ南側に堀があるとの話ですが、小さな谷とも呼べないような窪地にしか私の目には見えませんでしたので、写真も取りませんでした。

と言う事で、色々とツッコミたくなる由井氏館跡ですが、ひとつだけ言える事は、付近を通行する陣馬街道は、戦国時代後期に甲州街道が使われる前のかなり古くからある八王子から甲斐へと抜ける主要街道ですので、この街道近くの主要な場所に屋敷があったとしてもおかしくはなりません。
しかし、個人的にはここではないと感じずにいられません。

観音堂への行き方ですが、陣馬街道から入ると道は狭いです。
駐車場はありませんので、付近の駐車禁止ではない道路に止める事になりますが、道路が狭いですので、消防車走行の妨げにならないところを探すのに苦労しました。
なお、地図では観音堂そばまで入れそうですが、軽自動車専用道路のような感じで、Uターンも困難です。

川口兵庫介館跡(川口氏館跡)

観音堂(由井氏館跡)から、西寺方を通って、川口氏館跡がある川口町に向かいましたが、これがまた道が狭かったです。(^_^;)

川口兵庫介館跡(川口氏館跡)

秋川街道沿いの道路入口に上記のような写真の石碑が建っています。
ここから細い道を入って川口丘陵の先端部へと行くのですが、結構、急坂です。
でも、30mほどで史跡に到着します。

川口兵庫介館跡(川口氏館跡)

川口兵庫介館跡の石碑が道路に整備されていました。地元の方が投資なさったそうです。
標高は170m、下の秋川街道からで比高5mです。

武蔵七党の西党系が川口氏です。
川口氏は、武蔵名勝図絵によると、西宗貞の孫・川口次郎大夫から始まったとされ、川口八郎太郎景綱、川口太郎長季、川口兵庫介幸季と続いています。
この川口兵庫介幸季は応永年間(1394年~1427年)に長楽寺の薬師如来像を寄進したとの伝承があります。

子孫は代々、この川口に住んだようで、12代・川口宗幸(かわぐち-むねゆき)は扇谷上杉定正の家臣として、川口一族を率い、1494年の関戸の戦いなどに参戦しましたが、1505年の立河原の戦いでは落馬して死去しました。

天文年間(1532年~1555年)に、小田原城主・北条家のため食禄を失ったようで、13代・川口信季(のぶすえ)は、一族で伊豆の縁故を頼ったと言います。

まず、秋川街道が左折で細い道に入るのは、曲がり切れないので困難であり、追突事故のもとなりますので、どうしても入る場合には北西側から八王子方面に進んで「右折」で入ってください。
小生の場合、車は、川口中学校の方へと川口川を渡ってすぐ右側の路肩(川沿い)に止めさせて頂き、徒歩で向かいました。
下記の地図ポイント地点が川口氏館跡石碑の場所です。
地図は縮尺を変えてご覧下さい。

梶原景時の生涯と最後の住まいであった梶原景時館跡
大久保長安と八王子の大久保石見守長安陣屋跡
小田野城跡(八王子城の支城)小田野館跡
八王子の史跡・史蹟一覧~八王子城・滝山城からマイナー館跡まで

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク


関連記事

コメント欄に「一句」どうぞ

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1.  彦姫は、米沢城主・伊達晴宗の4女として、1552年?に生まれた。兄に岩城親隆・伊達輝宗などがいる。…
  2.  片倉喜多(かたくら-きた)は、1538年に伊達家臣・鬼庭良直の娘(長女)として生まれた。 母は…
  3. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
  4. 戦国時代には関東にも「足利氏姫」と言う女城主がいたと言うのは、あまり知られていないだろう。157…
  5. 慶誾尼(けいぎんに)は、慶ぎん尼とも書きますが、1509年に生まれた村中龍造寺家の当主・龍造寺胤和(…

人気の戦国武将

  1. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
  2. 淀殿(茶々)が産んだ、子供である豊臣秀頼の父親は誰なのでしょう?状況的には豊臣秀吉が父親であ…
  3. 北条氏康(ほうじょう-うじやす)は、小田原北条氏の第2代当主・北条氏綱の嫡男として1515年に生まれ…
  4. 松山城(まつやまじょう)は、伊予(愛媛)の松山にある標高132m、比高約90mの連郭式平山城で、津山…
  5. 今治城(いまばりじょう)は、輪郭式平城で、別名は吹揚城、吹上城(ふきあげ)とも言います。海を活用…
 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

自作甲冑キット新発売
甲冑自作キット
戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る