木浦城の模擬天守がある伯方ふるさと歴史公園



木浦城は瀬戸内海に浮かぶ伯方島にある連郭式山城で、標高98mの岩ヶ峰の山頂部にある大規模城郭です。
この木浦城がある伯方島は「伯方の塩」の発祥地でもあります。

1170年頃と言いますから源平合戦の頃です。
河野家の家臣・紀氏が木浦城を築いたのが始まりとされます。
承久の乱では、木浦城主・六郎太郎が主家に従って後鳥羽上皇に味方しましたが敗北し、木浦城も落城したとされています。



その後、村上家の本城として木浦にあった伯方城(伯方本城、伯方館)の展望警戒用の支城的な役割りを担っていたと推測致します。

しかし、現在ではその城郭も見るかげなく公園化されて小規模化となっています。
江戸時代に入る頃よりも、かなり昔に廃城になったので、仕方ないと言えます。
現在は伯方町郷土資料館として模擬天守風の建物があり、3階の展望回廊からは眼下の造船所や瀬戸内海などを望むことができます。

木浦城の模擬天守がある伯方ふるさと歴史公園

各写真はクリックすると拡大致します。

木浦城からの展望

中世後期(戦国時代)の復元城などは多いですが、中世前期の典型的な山城を整備しているのは珍しいと思います。
そういう意味では貴重な公園です。

下記は貯水槽を物見櫓風に見立てたものですが、これでいいと思います。
ただし「登れません」と張り紙がしてありました。

木浦城の物見櫓

造船の街でして、眼下では実際に船が3隻ほど建造中でした。
すごいですね。日本の造船業もまだ健在です。
ちなみに、湾の先にある小高い丘は、高丸山砦があったです。

伯方島の造船業

城門脇にはスクリューと錨のモニュメントもありました。
これでいいと思います。(^_^;)

木浦城のスクリュー

伯方島の木浦城がある伯方ふるさと歴史公園がある場所は、地図を見ていてもわかりにくいです。
下記の地図ポイント地点が、無料駐車場がある場所です。
東側の麓から横道に入って、登って行きます。
公園の建物が見えても、やり過ごして左奥へと進むと大きな駐車場があります。
伯方港の街も道路が昔ながらの狭さで、わかりにくかったです。
カーナビで事前設定して行くのが無難です。

伊予の戦国時代史跡を周る1泊2日旅の記録~松山城など
しまなみ海道の来島海峡大橋を見に行こう
四国「愛媛」の戦国時代の史跡から幕末史跡まで場所がわかる便利観光地図

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!




関連記事



あなたの思いを下記にどうぞ

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。


気になる戦国女性

  1. 島津亀寿(しまづ-かめじゅ)と言う薩摩のお姫様がいます。 亀寿姫と呼びますが、法名から薩摩では持明…
  2. お市の方は、1547年?に織田信秀の娘として誕生した。呼称としては、市、お市の方、市姫、小谷の方(お…
  3. 山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかってい…
  4. 竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。 本名は利世(りよ)、安岐姫ともあるが、小説などでの創作名であ…
  5. 豪姫(ごうひめ)は、織田信長の家臣・前田利家の4娘として尾張・荒子城(愛知県名古屋市)にて1574年…

人気の戦国武将

  1.  小山田氏の祖である鎌倉武士・小山田有信から、戦国武将で武田信玄に臣従していた小山田信茂までの「小山…
  2. ▼徳川家康は天文11年(1542年)に、三河国(現在の愛知県東部)岡崎城で小大名・松平広忠の嫡男とし…
  3.  真田幸村(真田信繁)とは?どのような人物だったのか?  真田幸村は1567年に武藤喜兵衛昌幸(の…
  4.  天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)は、1582年6月、織田信長の死後、空白地帯となった甲斐・信…
  5. 戦国時代の1582年6月2日の本能寺の変で織田信長を倒して明智光秀ですが、なかなか味方してくれる大名…

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

自作甲冑キット新発売
甲冑自作キット
戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る