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 清洲城(清須城)は、言わずと知れた織田信長の居城であった城として知られています。

 清須は、鎌倉街道と伊勢街道が合流する「交通の要」であり、室町時代の1405年に尾張守護所である下津城の別邸として、斯波義重が築城したのが始まりとされています。
 1476年に織田家の内紛にて下津城が焼失したあと、1478年に尾張守護所が清須城に移転し、尾張国の中心地となりました。

 ちなみに、織田信長が生まれたのは勝幡城であると推測され、この時父・織田信秀は古渡城主であり、織田信長は13歳のとき古渡城にて元服しています。
 織田信秀は那古野城を織田信長が2歳の時に与えています。
 1548年には、斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)が織田信長に嫁いでいます。
 1551年に末森城で織田信秀が急死すると、織田信長が家督を継ぎました。
 しかし、この頃の清須城は、尾張守護の織田信友が城主で、織田信長の織田家はその有力家臣に過ぎなかったのです。
 織田信長は、同族の犬山城主・織田信清らと協力して、織田信友らを追放し、1559年、22歳の時に尾張を統一し、晴れて清須城主となりました。
 1560年の桶狭間の戦いも、織田勢はこの城から出陣しています。
 1562年には徳川家康と清洲同盟も結ばれています。

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 美濃攻略のため織田信長は、1563年小牧城を築くと本拠地を移しました。
 更に織田信長は1567年、斎藤龍興稲葉山城を陥落させると、城下の井ノ口を「岐阜」と改めて、岐阜城を築いて更に本拠地を美濃に移転しています。

 1582年、明智光秀による本能寺の変で織田信長が横死すると、清洲城にて豊臣秀吉柴田勝家丹羽長秀池田恒興により清洲会議が行われ、以後は織田信雄が清須城主となりました。

 清洲城

 1585年、天正大地震が発生した際、清洲城は大きな被害を受け、清洲城主・織田信雄は、2重の堀の普請、大天守・小天守・書院などの造営や、天守閣の鯱や屋根の一部に金箔瓦を用いるなどして、新しい清洲城を築いています。
 1595年には福島正則が清須城主となり、1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康勢の後方拠点として使用されました。

 清洲城

 戦国時代の清洲は、尾張の中心都市であり、全国屈指の規模を誇る大都市でしたが、1609年、徳川家康は名古屋の拠点を、清洲城から名古屋城へ移す事を徳川義直に命じます。
 各写真はクリックすると拡大します。

 清洲城からの展望

 清洲城の横には新幹線や東海道本線が通っています。

 清須城
 
 このように清洲城には1989年に模擬天守が建立されましたが、この天守閣がある場所と大きな赤い橋の大手橋は、完全に観光用の模擬です。
 この場所には城もありませんでしたし、橋もこの場所にはありませんでした。
 当然、城の形も昔の建物を再現したものではありません。

清須古城(清洲古城)

 本来の清洲城があった場所は「清洲古城」と表現されています。

 清洲城から清洲古城方面の展望

 上記は清洲城の模擬天守から、清洲古城方面を撮影したものです。

 清洲古城の碑

 五条川の西側のちょっとした丘地にありましたが、現在の清洲古城は、JR東海道線と東海道新幹線によって分断されており、五条川の対岸にある清洲城の模擬天守が目立っていると言う状況です。
 織田信長がこの清洲城主時代から躍進したと言うのに、ちょっと残念な状況ですね。
 でも、どこでどう?調べて来たのか、欧米人の若い男性が1人で観光に来ており、古城の方も熱心にあちこち見て歩いていたのには感心させられました。
 約450年たっていると言うのに、織田信長の世界への影響力、恐るべしです。

 清洲古城

 ちなみに、歴史上に登場する地名しての名称は「清須」「清須城」の方が古いそうで、江戸時代に入ると「清洲」と表記されるようになったとの事です。 

 清洲城へのアクセス・行き方ですが、名古屋駅からは直線距離で約10kmくらいですかね?車で約20分の距離です。
 電車で訪れる場合には、

 下記の地図ポイント地点が、無料駐車場の場所です。
 お車の場合には、国道302号(高速の下の道路)を西方向に進み、清洲中学校の信号を曲がらないで、そのすぐ先の側道を入り、下記の地図ポイント地点を目指してください。
 高速の下に302号が通っている関係で、右折は困難であり、また地図では曲がる所がわかりにくいです。
 もし、カーナビをお持ちであれば、カーナビで下記のポイント地点を指定して行けば、間違いないと思います。

 

 

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  1. 2015年 5月 13日
  2. 2015年 12月 26日

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