三河・拳母城(七州城)~本丸隅櫓が復興されている豊田市のシンボル

拳母城(七州城)


愛知県豊田市にある七州城(しちしゅうじょう)をご紹介してみたいと存じます。

「三河」「尾張」「美濃」「信濃」「伊賀」「伊勢」「近江」の七か国が見渡せる標高63m、比高28mの「童子山」にあることから七州城と呼ばれますがこれは通称で、正式名称は三河・挙母城(ころもじょう)となります。

鎌倉時代にこの地「挙母」を治めていた中條景長は、1309年に金谷城が築いており、昔からここの童子山に城があったとは考えられていないようです。
その三河・金谷城も、拳母城と呼ばれることがあります。



関ケ原の戦いのあと、1604年に三宅康貞が、先祖ゆかりの地である拳母(衣)に1万石で入封すると、荒廃していた金谷城を改修するのではなく、新たに佐久良城(さくらじょう)を新築しました。
その後、挙母藩(ころもはん)は、幕府直轄領になったり、本田忠勝の曾孫・本多忠利が1万石で入るなどしますが、1749年に上野・安中藩より内藤政苗が2万石で挙母へ領地替えとなります。

この内藤政苗は、佐久良城(桜城)を大改修し、徳川幕府も4000両を挙母藩に支給しています。
しかし、度々、矢作川の氾濫で被害を受けたため、2代藩主・内藤学文は1779年に工事途中で断念し、童子山に新城を築城することなりました。
そして、童子山の挙母城は、1785年に完成した訳です。

拳母城(七州城)

以後、挙母の城下町は桜城(佐久良城)があった下町と、挙母城を中心とした樹木の両地域で発展し、明治維新を迎えるのです。

拳母城(七州城)

現在は豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されていますが、遺構はほとんどありません。

拳母城

ただし、1977年に、石垣上の櫓台に本丸隅櫓が復興されています。

七州城

また、少し奥には、隅櫓に隣接する形で、書院は「又日亭」が移築されています。
この又日亭(ゆうじつてい)は、矢作川の対岸にあった寺部城(寺部陣屋)にあった書院を豊田市が移築したものです。

又日亭

拳母城(七州城)への行き方・アクセスですが、車の場合、豊田市美術館の無料駐車場利用(100台)が利用できます。
この駐車場があった場所は、かつて蓮池と呼ばれた池で、拳母城の堀にもなっていました。
下記の地図ポイント地点が駐車場入口の場所となります。

拳母城の見学所要時間は15分といったところです。

三河・寺部城と寺部・鈴木氏~寺部城の訪問記

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!




関連記事



あなたの思いを下記にどうぞ

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。


気になる戦国女性

  1. 阿古姫
    阿古姫(あこひめ)は、長宗我部元親の3娘です。 長宗我部氏の家臣で、上ノ加江城主である佐竹親直…
  2. 石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。…
  3. 1547年?に誕生した「おね」は、尾張国の杉原定利の娘(次女)で、母は朝日殿。 生まれてすぐに、母…
  4. 大蔵卿局・大蔵局(おおくらのつぼね)は浅井長政の家臣だっとされる大野定長の妻で、茶々の乳母であったと…
  5. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。 父は小谷城主・…

人気の戦国武将

  1.  小山田氏の祖である鎌倉武士・小山田有信から、戦国武将で武田信玄に臣従していた小山田信茂までの「小山…
  2. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…
  3. ▼本能寺の変(1582年・天正10年)が起ったとき、織田勢で京から最も遠い任地にいたのが滝川一益だ。…
  4. 今川義元(いまがわ-よしもと)は、1519年、駿河・遠江守護の今川氏親の5男として生まれた。幼名は芳…
  5. 三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、1572年に武田信玄が3万の軍勢を動員した西上作戦として…

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る