武蔵・加納城~桶川に残る堀跡と土塁


スポンサーリンク
スポンサーリンク

埼玉県桶川市加納にある武蔵・加納城は、戦国時代頃までに使用された平城と考えられています。

鴻巣七騎と称されたひとりである、本木氏の居城(館跡)であったと推定されています。

本木家は、岩槻城主・太田家に仕えていた土豪です。

武蔵・加納城の周りは住宅団地(城跡団地)となってしまったため、遺構のほとんどは失われたようですが「おりひずみ」と言われる堀跡が見受けられました。

 スポンサーリンク


下記のような看板がありました。

武蔵・加納城

ちょっと行って見ると、土塁と堀跡のようなものが少しだけ残っており、面影を偲ばせます。

武蔵・加納城

普通、加納城と言うと、岐阜で加納藩主となった奥平信昌の加納城が有名ですが、さすがにココ埼玉の加納城は、不明な事が多いです。

武蔵・加納城

まぁ、規模からすると防御機能もある屋敷跡と言って良いでしょう。

武蔵・加納城

さて、この桶川の加納城は、場所が分かりにくいです。

ちょっと前までローソンがあったようですが、今は跡形もない県道12号の信号から入って行きます。
武蔵・加納城の場所は、下記の地図ポイント地点となります。

地図だと「道」が記載されていないのですが、それは「私道」となっているためです。
ポイント地点の東側の道から、中に入れる砂利の未舗装路があり、入って行くと未舗装の「月極め駐車場」となっています。
その月極め駐車場がある場所は「広場」のように雰囲気でして、ポイント地点付近は城跡と言う事でか?、2台ほどの駐車スペースもありました。
正式な駐車場ではないと思われるので、あまり長居はできませんが、数分であれば車を止めて見学できます。
その付近に、石碑と案内板も建立されています。

ただし、民家も接近しているため、騒いだりするのは厳禁でお願い申し上げます。

武蔵・菖蒲城とクイズの神様で知られる久伊豆神社?
武蔵・加納城~桶川に残る堀跡と土塁
関宿城の訪問記と写真集~坂東武者を物語る歴史ある地
騎西城(私市城)~土塁も残る成田氏傘下の城跡

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク


関連記事

コメント欄に「一句」どうぞ

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。父は小谷城主・…
  2.  1547年?に誕生した「おね」は、尾張国の杉原定利の娘(次女)で、母は朝日殿。 生まれてす…
  3. 木曽義昌/木曾義昌(きそ-よしまさ)は、木曾谷領主(木曽福島城主)・木曾義康の嫡男として1540年に…
  4. 岩村城
    秋山虎繁(あきやま-とらしげ)は、秋山領主(山梨県南アルプス市秋山)である秋山信任(秋山新左衛門信任…
  5. 阿古姫
    阿古姫(あこひめ)は、長宗我部元親の3娘です。長宗我部氏の家臣で、上ノ加江城主である佐竹親直…

人気の戦国武将

  1. ▼徳川家康は天文11年(1542年)に、三河国(現在の愛知県東部)岡崎城で小大名・松平広忠の嫡男とし…
  2. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…
  3. 広島城(ひろしまじょう)は1589年に築城された輪郭式平城で、別名は鯉城(りじょう)、在間城(ざいま…
  4. 北条氏康(ほうじょう-うじやす)は、小田原北条氏の第2代当主・北条氏綱の嫡男として1515年に生まれ…
  5. 勝山館
    武田信広(たけだ-のぶひろ)は、若狭の守護大名・武田信賢の子として、1431年2月1日、若狭小浜・青…
 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

自作甲冑キット新発売
甲冑自作キット
戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る