真弓山城(足助城) 香嵐渓にある山城と徳川家を出奔した鈴木康重


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連郭式山城である足助城(あすけじょう)に中世・戦国時代の城郭が再現されていると知って、足を延ばしてみました。

国のふるさと創生基金などを元に、本丸には高櫓と長屋など、西の丸に物見矢倉、南の丸には物見台や厨、また板塀などが復元されています。
このように派手な天守ではなく、昔ながらの城郭を再現している城は、小生の大好きな部類です。

足助城

観光客誘致の為「城跡公園足助城」と言う名前で整備されていますが、戦国時代には真弓山城(まゆみやまじょう)と呼ばれていました。

真弓山城の本丸

築城時期は不明ですが、足助鈴木家の本城であったと考えられています。

足助城の南丸

香嵐渓はこのような巨石が多い低山地点ですね。

足助城 
 
飯盛山城を本城に、真弓山城(足助城)、臼木ヶ峯城、大観音城、城山城、成瀬城、黍生城の6支城を含めて、足助七屋敷と呼んでいたのですが、真弓山城は観光地で有名である足助氏が築いたとは現在考えられていません。
遺構の発掘調査で共通する遺物が出て来なかったためです。

真弓山城の西側の谷沿い

真弓山城主だった足助鈴木家は真弓山城を本城として、支城として八桑城(新盛城)、安代城、浅谷城、大沼城、阿須利城、田代城を配置し、これらを足助七城と呼びます。
例によって、写真はクリックすると拡大します。

真弓山城の井戸跡

香嵐渓の脇の山が飯盛山城ですが、飯盛山城は小規模であり、遺構の形から、もっと古い時代の城跡だと考えられています。

真弓山城の西の丸・物見矢倉

1525年に松平清康が2000を率いて真弓山城を攻めたとの記録があります。
よくこんな高い所まで登って攻めたものです。

足助城の西ノ丸

この時、松平清康の妹・久が、鈴木重政の嫡子・鈴木重直に嫁ぐ事で、和睦して鈴木家は松平家の傘下にはいりました。

足助城の西物見台

足助鈴木氏は鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重と続いています。

足助城の西の丸から本丸を望む

1554年には今川勢の馬場幸家に攻められて降伏。
1564年に松平家康(徳川家康)が3000で攻めると、以後は完全に松平家の家臣として数々の戦に参戦しています。

真弓山城の本丸脇

なお、1571年、武田信玄の奥三河侵攻の際には足助城も落城していますが、武田信玄は松山城と命名し下条信氏を城代に置いています。

足助城の南物見台

ただし、武田信玄の没後、松平信康が足助城に攻め寄せると、武田勢はほとんど対抗せずに逃亡し、鈴木康重を足助城に戻しています。

真弓山城

1590年、豊臣秀吉小田原攻めのあと、徳川家康が関東入国となると、鈴木康重も関東に移ったため、真弓山城は廃城となりました。

真弓山城の本丸から南の丸を望む

しかし、この鈴木康重は、同じ1590年頃に、突然徳川家を出奔して浪人になっています。

真弓山城からの展望

どうしちっゃたんでしょうね。
関東での待遇に不満を抱いて直ぐに出奔したとも伝わります。

足助城の本丸

標高301mの真弓山に、高櫓・長屋・物見矢倉・厨(くりや)などの建造物が復元された山城の風景となっています。

真弓山城の本丸から西の丸を望む

足助は三河、尾張、美濃、信濃の国を結ぶ交通の要所だったのです。

足助城

城跡公園足助城の入場は有料で、毎日午前9時~午後4時30分(入場券発売は午後4時まで)。
定休日は毎週木曜日。12月25日から翌年1月5日までもお休みです。

足助城

行き方・アクセスですが、麓から登ると急な坂になっており、徒歩約40分掛かります。
ただし、車で足助城のすぐ近くまで登って行けますので、大変観光しやすい山城です。
無料駐車場は50台で、トイレも完備されています。
観光所要時間は駐車場から約30分。

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真弓山城内は良く整備されていますので、トレッキングポールなど特別な装備などは一切不要です。
ただし、夏は紫外線対策と虫除けがあると良いかと存じます。
下記の地図ポイント地点が無料駐車場の場所ですが、坂は急で道は狭いのですので、どうぞお気をつけて。

 

長篠の戦い(設楽原の戦い)考察と訪問記・戦跡・史跡・場所・写真・地図
菅沼定忠と田峯城の復元された本丸御殿と武田勝頼が逃れた武節城~菅沼定利も
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  1. 2015年 9月 01日

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