朝廷の理想と現実 藤原道長のウハウハな収入源

藤原道長

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藤原道長の詠んだ有名な歌

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
(この世は私のための世だと思う、まるで満月のようにかけているものがないと思うので)

藤原道長が、自身の三女威子(いし或いはたけこ)が後一条天皇の后になることに決まったことを祝う宴で、詠んだとされます。
摂関政治の土台である、「天皇に自身の娘を嫁がせること」に成功したということを意味しますが、自身の娘を三人も天皇の妃にしたのは奈良時代平安時代の貴族政治の歴史の中、従来誰も成しえてないことです。
まさに、藤原道長の権勢は、貴族政治史上絶頂にあります。

藤原道長がこれ程のまでの権勢を誇れたのは、もちろん娘を天皇の后にして摂政関白の役職に就いたからだと、小中学校の教科書では書いてありますからそれが答えでしょう。
ですが、塾講師や予備校講師の経験上、歴史嫌いの人はこうした説明を嫌います(あくまで僕の経験上です)。
じゃあ、現代でも摂政や関白になったら権力者になれるの?どんなに偉い肩書を持っていても、結局金と軍隊と自身の能力がないと権力を握ることはできないんじゃないの?等ツッコミを受けること多数です。

本記事では、摂政や関白になることと財力という実質的力の関係について見ていきます。


貴族政治の理想

上記にも書きましたが、どんなに偉い肩書を持っていても、金と軍隊を持っていなければ権力者にはなれません。
軍隊を持つには金が必要です、また、金を得るには物を作ったり売ったりする、つまり産業を真面目に行わないと得られません。

貴族政治の時代である奈良時代(710年〜794年)や平安時代(794年〜1185年或いは1192年)の産業は、現代みたいに自動車業界や建設業界、建機業界等、様々な製造業があるわけでなく、米農業が中心です(後、産業革命がおこる明治時代までは基本的に同じ)。
権力者への道には実質的な力である財産が必要ですが、基本的には米農業を行うことで財産を築きます。
そこで、米農業を行うのに必要な土地をよりたくさん所有することが、上に立つ者の条件になります。

そうしたことから貴族政治の理想は、「日本列島全ての土地は、日本列島で最も偉い天皇とその取り巻きである朝廷のもの」というものです。
庶民たちは、その日本列島に暮らさせていただく代わりに、天皇や朝廷に税を払うのです。
具体的には、強制的に土地を貸し与えられ、耕して米を収穫し、何割かを税として朝廷に納めるのです。
この強制的に貸し与えられた土地は、歴史教科書お馴染みの口分田です。
ただし、あくまで日本列島は天皇や朝廷のものです。
この土地は、いただいたわけではありません。
死ねば国に返還され、また米が余っていれば没収されます。

こうして、貴族政治の本格的に始まった奈良時代に、日本列島一偉い天皇や取り巻きの朝廷に、当時の中心産業農業の基盤である土地が集中する体制やその収益の集中する体制を作り上げます。


貴族政治の現実

ところが、この体制は奈良時代の内に維持できなくなります。

税率も厳しい、貯蓄は認められない、さらに米を納める以外にも軍役や土木工事等労働税も課せられているのですから、厳しすぎます。

軍役は女性には課せられていませんが、現存する当時の戸籍によると、普通ではありえないくらい女性の比率が高いです。
軍役逃れのため、戸籍を偽ったと考えられています。
さらに、口分田を耕すことから逃れるため、日本列島あちこちで庶民が口分田から逃亡を始めます。

口分田を耕す者が減れば、朝廷に納められる税も減り、税で成り立っている朝廷はやっていけなくなります。

そこで、庶民が田畑をきちんと耕すこと、また日本列島あちこちの雑木林等の内使われていない荒れ地を農地に開拓して税収を増すことを目的に、743年に朝廷は墾田永年私財法を出します。

この法律は、自分で荒れ地を農地へと耕した場合は自分の土地にしてもいいという法律です。
これで、税を払った上で余った米は自分の財産にできるようになりました。
つまり、朝廷に没収されなくなりました。
これなら土地を捨てて逃亡せず、その土地にじっくりとどまって農業をしますよね。

でも、これはカオスな事態です。

「日本列島は天皇のもの」のはずなのに、その日本列島内に自分の土地を持つって…。

何にせよ、こんな法律が出された以上、土地開拓しないのは損です。
庶民にも色々いて、家来を持つ有力庶民は、家来を引き連れて土地開拓をしていきます。
もっとたくさん家来を持つ大和朝廷の有力貴族たちも、とんでもない勢いで土地開拓をしていきます…。
この自分で開拓した自分の土地を荘園といい、それと区別するため国の土地を国衙領と言います。

これはカオスの上にさらなるカオスです、日本列島は天皇とその取り巻きである朝廷のものと言っているその朝廷の貴族が自分の土地を持つようになったのだから、自分の土地の中に自分の土地を持つような異様な事態となります。

ただ、これが朝廷政治の現実の一つです。


口分田を耕す庶民が減っており、朝廷の税収は下がっています。
現代と同じで、国の税収は国家事業をするために使われるだけでなく、国家公務員たちの給料にもなります。
奈良時代や平安時代の税も、国家事業だけでなく貴族の給料の一つです。
税収が下がっている以上、貴族の給料は下がるので、自分で財産を作るしかありません。
それにこの時代、私有地であっても農業等事業をして収益があればその内の何割かを税として国に納めるルールだったので、国としてもいいわけです。

とんでもない金持ちの出現

ところが、平安時代に入る頃、事態が変わります。

大和朝廷には、源氏、平氏、藤原氏、橘氏等色々な貴族が勤めていますが、要職である左大臣、右大臣、内大臣等の職を巡り、熾烈な争いが繰り広げられていました。

そうした中、違う氏を排除し、要職を独占するだんとつに強い一族が現れるようになります。
その代表が、藤原氏です。
さらに、本来最も偉い天皇も、藤原氏は自分の娘を嫁がせ、生まれてきた皇子が天皇になることで、天皇の母方の実祖父として抑えられるようになります。
こうして、大和朝廷をほしいままに動かせるようになります。
大和朝廷は、日本列島全体の政治行政の方針を決める国家機関です。
日本列島のルールは、大和朝廷が決めるのです。
その大和朝廷を一族で独占すると、自分たちに都合いいルールを作れるようになります。
例えば、自分の財産を税として取られないようにするためのルールを作れるようになってしまいます。
従来、寺社は公的な場と見なされたり俗世のルールの適用外ということで、寺社の土地で取れた米等に税はかからないという決まりがあったのですが、これを自分の土地にも適用したのです。
土地開発をしていた現地の有力庶民たちは、これを知ってうらやましく思います。
一方、貴族たちも自分の土地をさらに増やしたいという思惑もあり、両者の利害は一致をします。
有力庶民は、自分たちも税を取られないようにするために、自分たちの土地をルール上税を免除された藤原氏等強い貴族の土地にしてしまうのです。
その代りその貴族に、名義使用料とも言える米等を払います。
ですが、その名義使用料は、国に税を払うより安いので、有力庶民たちは名義使用料を払い強い貴族の土地にしてしまう道を選びます。
貴族にとっても、名義使用料を得てさらに財産をアップさせるので、両者とも得しています。
こうして、日本列島中の有力庶民の土地が、平安京の強い貴族たちの土地になっていきました。
藤原道長は、藤原氏が違う氏を排除することに成功して強い貴族になった後に、歴史の表舞台に登場します。

藤原道長の、具体的な役職等を見ていきます。
国の政治行政の方針を決めるのが大和朝廷ですが、その決め方は、貴族の中でも最も偉い貴族たちの会議で方針を決め、その会議で決定されたことを会議メンバートップである内覧権限ある者がチェックし天皇に奏上、天皇が承認すればその決まり事が施行されるという流れです。
藤原道長は、会議で最も強い立場である左大臣とまとめ役である内覧の権限を得ること、会議のメンバーを藤原道長支持貴族で多数を占めることで、だんとつに強い貴族となり、日本列島中からだんとつに多くの土地の寄進を受けることになります。
その土地の寄進による経済っ力アップをもとに、今まで以上に貴族社会でだんとつの存在になり、だからこそさらに土地の寄進を受けて、それでさらにアップした経済力でまた貴族社会での存在感を大きなものにして…。

このループが藤原道長の権力基盤の一つになり、この体制を20年程続けていきます。
(藤原道長といえば藤原摂関政治史上全盛期であるため、摂関政治の象徴のように言われますが、摂政になったのはその後のことで、また1年程だけです。)


一方、私有地ばかりでなく国家の土地もまだ残っていました、口分田という形ではありませんけど。
日本列島は国に区分され、大和朝廷の地方役所である国庁が各国におかれ、大和朝廷の中央役所である平安京から貴族がそこに派遣されそこの役職である国司になり、その国を管理監督していました。
国司は、この藤原道長の時代、国内の有力庶民を手下にしたり、有力庶民の耕した土地をそのまま国の土地に編成したり、有力農民の土地の一部だけを国の土地に編成する等して税を得ていました。
国司は、基本的に中央の平安京で出世できない者たちが多いです。
それでも自分の赴任した地方の国では偉い立場であり、たくさんの税を集めて自分の懐に入れようとしていました。

国司のこうした行動は藤原道長にとって、国内の有力庶民を国司の手下にされることで藤原氏の土地として寄進され名義使用料を得られるチャンスを減らすことに繋がる等厄介な存在であるかといえば違います。
まず、国司は自分の部下です。
立ち入って欲しくない自分の土地には、立ち入らないよう指示できます。
さらに、国司は財産を築きたいと考えており、米のたくさん収穫でs切る豊かな国の国司になりたいと思っています。
だからこそ、藤原道長という強い人事権を持つ貴族に賄賂を贈り、いい国の国司にしてもらおうとします。そうして、藤原道長のもとに国司からも財産が集まります。

つまり、国が土地を守るなら国司が藤原道長に賄賂を贈るし、私有地が増えるなら土地の名義を藤原道長のものにするし、いづれにせよ藤原道長には財産が入ってくるのです。


以上、藤原道長の経済基盤を、土地制度の観点で見てきました。
汚い話ですが、金の動きやよりたくさんの軍隊の所有は実質的権力に繋がりますし、この見方はいつの時代にも役に立ちます。
歴史嫌いの人は、いつの時代にも役に立つこうした見方を持って歴史を眺めてみれば、新たな発見があるかもしれません。

(寄稿)稲岡良仁

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源頼朝は武士政治の先駆者ではない!?

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稲岡 良仁

投稿者プロフィール

塾講師兼予備校講師を本業にしております。義務教育の日本史や高校日本史、高校古典の授業で受けた質問をもとに、記事を書いていきたいと思っております。ただし、受験や定期テストで点を取るための記事では全くありませんのでご注意ください。仕事ではしゃべることと板書と生徒の手元の資料を用いて歴史や古典を伝えており、純粋に文章だけで伝えることに慣れていないために、読みにくいこともあるかと思いますが、しっかり調査して内容のしっかりしたものを書いていきたいと思っております。よろしくお願いします。

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