長井坂城 上杉謙信・北条氏邦・真田昌幸らが奪い合った最前線


スポンサーリンク
スポンサーリンク

 群馬県の長井坂城(ながいさかしろ)は、1560年、春日山城主・上杉謙信が関東出陣し、沼田城主・沼田顕泰を降伏させる際、ここに着陣したのが始まりとされます。

 上杉謙信がこの地に陣を構えたため、沼田城の沼田顕泰は、北条家との連絡を絶たれ、長井坂の陣を訪れて和睦したとされます。

 その後、上杉家によって長井坂城は整備され、関東出陣の際、沼田城と前橋城の中間拠点となりました。

 長井坂城の堀

 その後、北条氏政の支配下となり、1580年になると、武田勝頼の家臣・真田昌幸が長井坂城を攻略します。
 しかし、1582年に北条氏邦が5000を率いて奪還すると、白井長尾家の白井衆・長尾憲景が長井坂城を改良して、猪俣邦憲が長井坂城主となり、沼田城の攻略拠点としました。

 長井坂城の二の丸

 戦国時代には利根川沿いの国道17号はありません。
 昔の古道・沼田街道が、長井坂城の中の本丸と二の丸の間を通過していたと考えられます。
 上記写真の右側ですね。
 街道を城で囲んでしまうのは、まさに北条家の築城そのものの特徴を現していると存じます。
 沼田からですと、それこそ谷底から、長い坂を登ってくるしかなく、城の名前にもなったと想像します。

 長井坂城の馬出

 1590年、豊臣秀吉小田原攻めのあと、廃城になったとされます。

 長井坂城の三の丸

 長井坂城への行き方・アクセスですが、沼田城からは車で25分くらいの距離です。

 長井坂城からの展望

 関越道の長井坂トンネルの上となります。
 沼田方面からでも、渋川方面からでも、結構「長井坂城跡」と言う看板が道路沿いに見られますので、あまり迷わずに行けると思います。

 長井坂城の二の丸

 しかし、長井坂城のある場所は標高480m、比高210mの台地の先端にある、現在の城域は「農地」となっています。
 要するに「畑」であり個人の方の所有地ですので、見学なさる際にはくれぐれも地元の方にご迷惑をお掛けしない様、お願い申し上げます。

 スポンサーリンク


 見学所要時間は15分といったところでしょうか?
 駐車場は下記のスペースをお借りすると良いですが、できる限り短時間の駐車に留めましょう。
 なお、長井坂城への進入路は、小型車や軽自動車向けですので、大きな車は走行が困難です。
 心配な方は、広い道路に止めてから見学を。

 駐車スペースがある場所の地図

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク


関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1.  彦姫は、米沢城主・伊達晴宗の4女として、1552年?に生まれた。兄に岩城親隆・伊達輝宗などがいる。…
  2. 戦国時代には関東にも「足利氏姫」と言う女城主がいたと言うのは、あまり知られていないだろう。157…
  3.  阿南姫(おなみひめ)は、米沢城主・伊達晴宗の長女として1541年に生まれた。兄に岩城親隆、弟に伊達…

人気の戦国武将

  1. 今治城(いまばりじょう)は、輪郭式平城で、別名は吹揚城、吹上城(ふきあげ)とも言います。海を活用…
  2. 真田丸(さなだまる)とは、真田幸村が築いた大阪城の出城の名称である。大坂冬の陣に参加して欲し…
  3. 5歳の時に疱瘡に掛かり、一命は取り留めるものの右目を失った梵天丸。米沢にて虎哉和尚や片倉景綱に鍛…
 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

甲冑型ストラップ

戦国武将「Tシャツ」や「スウェット」その他もあり。
戦国武将シャツ

戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る