練馬城の訪問記~遊園地「としまえん」になっているかつての東京の古城



練馬城(ねりまじょう)を訪問して参りましたのでご紹介してみたいと存じます。
しかし、レポートをと申しましても、現在の練馬城跡は遊園地である「としまえん」の中となりますので、遊園地に行くと言う感じでございます。

練馬城の築城時期は不明ですが、石神井城の支城として豊島景村(としま-かげむら)が築城し、矢野将監という武将が練馬城主だったようで、矢野屋敷、矢野山城とも呼ばれていたようです。
標高は40.5m、比高は北側の石神井川とで8.5mの平山城です。

1476年、長尾景春の乱では豊島氏は長尾景春に味方したため、練馬城が石神井城とともに、山内上杉家と扇谷上杉家の江戸城河越城の連絡を遮断する役割を果たしたと考えられます。



1477年4月13日、扇谷上杉家の太田道灌が江戸城から出陣すると、練馬城に矢を撃ち込み、また周辺に放火しました。
この時の練馬城主・豊島泰明は、石神井城主の兄・豊島泰経と共に全軍で迎撃に出たため、太田道灌と江古田原の戦い(江古田・沼袋原の戦い)となります。
しかし、豊島勢は、豊島泰明ら数十名が討死して敗走し、豊島泰経らは石神井城へ退却しました。

練馬城

練馬城が陥落した際には、豊島家の姫が背後の石神井川に入水したと言う伝説があり「嬢が淵」と呼ばれていました。
それ以降、練馬城が使用されたと言う史料は見つかっていません。

かつての練馬城は、現在の「としまえん」を分断するように流れる、石神井川の南側にある丘陵(舌状台地)が縄張りであったと推定されています。
プールのハイドロポリスがある場所と、南側の住宅地の周辺ですね。
戦前には遺構も多少残っていたようですが、なにしろ東京23区ですので、住宅開発などですでに遺構のほとんど残されておらず、石神井川沿いの段差が面影を偲ばせる限りとなっています。

練馬城の場所は「としまえん」となります。
見学する場合には、としまえんへの入場が必要です。

としまえんの訪問記情報
石神井城と愛宕山城・三宝寺(東京都練馬区)
太田道灌~忠義を貫いた名将の終焉の地~太田道灌の首塚
新宿の山吹の里伝説~新宿中央公園の碑と紅皿の墓(大聖院)
東京にある史跡巡り用オリジナルGoogleマップ

 

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