
備後・千光寺山城は戦国時代に大内義隆の家臣・杉原元清(?~1572年)が築城したとされ、別名は権現山城と言います。
標高は106m、比高100mの山城です。
杉原元清(杉原隆盛、木梨高盛)は木梨杉原家の6代目で、杉原家の本拠地は鷲尾山城(木梨城)となります。
よって、千光山城は子の杉原元恒が築城したとも言われています。
1572年に、鷲尾山城は石原忠直に攻められて落城し、この時に杉原元清が討死しました。
そのため、本郷城主・古志豊長を頼った杉原元恒が、小早川隆景の援助も受けて、石原忠直を撃ち滅ぼして鷲尾山城を奪った模様です。
そして、鷲尾山城を釈迦ヶ峰城と改名しましたが、その後、1584年に千光寺山城を築城したともされます。
もっとも、以前より砦であった千光寺山城を改修して本拠地と改めた可能性があります。
尾道は港も栄えており、税を取るのにもうま味がある場所ですからね。
千光寺山城は尾道や瀬戸内を一望できる場所にあります。
ただし、1591年に羽柴秀吉が山城禁止令を出したため、杉原元恒もすぐに鷲尾山城の麓に舘を築いて移転したとされ、千光寺山城が使われた期間は短いようです。
現在は、近代的な公園「千光寺山公園」として整備されており、山城とは言え観光地ですので、多少の雨天でも問題なく訪問が可能な城跡です。
山頂の北には「八畳岩」と言う大きな岩があり、その場所が展望台か本丸として機能していた可能性があります。
実際に岩の上には、物見櫓の柱穴と思われる四角い穴がありました。
山城にも関わらず麓からは「千光山寺ロープウェイ」が通っているため、苦労せず登る事が可能です。
山頂には「千畳敷」と言う郭もありますが、現在はロープウェイと乗り場や展望台など、数多くの建物ができたため、城として遺構は良く分かりません。
下記の写真中央には「お城」が写っていますが、これは尾道城です。
ちなみに、尾道城は1964年(昭和39年)に博物館として建てられた天守閣風の建物ですが、もともと城跡とも関係ない場所にあり、現在は閉館しております。
いわゆる「廃城」なのですが、内部などには入れず、建物だけが残っている状況です。
さて、千光寺山城へのアクセスですが、クルマで直接行く場合には、千光寺公園の駐車場が便利です。
山のだいぶ上の方に駐車場がありますので、高低差も少なくなります。
下記の地図ポイント地点がその駐車場となります。
JR山陽本線の尾道駅からですと、途中にある「尾道城」を見ながら登って、千光寺公園の入口まで約15分となります。
ただし、今回は、千光寺山城だけでなく、尾道観光のメインスポットでもある千光寺も参拝させて頂きたかったので、あえて麓にクルマを止めて、行きだけロープウェイを利用させて頂き、帰りは散策がてら千光寺に寄るコースに致しました。
千光寺や千光寺山ロープウェイに便利な駐車場などの情報は、下記の旅行サイトの方に掲載致しますので、よろしければ合わせてご覧頂けますと幸いです。
→千光寺のみどころ~尾道を代表する観光スポットと尾道渡船
→三原城と石垣~小早川家が改修した本格的な水軍城
→小早川隆景【詳細版】~毛利家大きく支えた智将
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