蝦夷の志苔館と小林良景 コシャマインの戦い【蝦夷・北海道】

志苔館

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志苔館(しのりたて)は、北海道函館市にある標高25mほどの複郭式丘城(平山城)で、続日本100名城(101番)にも選ばれている国史跡で、別名は志濃里館・志海苔館です。

1454年に、武田信広と共に安東政季蝦夷(北海道)に渡って花沢館蠣崎季繁を頼ります。
そして、1456年(康正2年)に安東政季が秋田に移る際に、道南十二館に家臣らを配置していますが、そのひとつが志苔館で、1306年に小林重弘が上野国(群馬県)からやってきて築城したとされます。

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1456年、小林良景(小林太郎左衛門良景)のときに、コシャマインの戦いとなってアイヌ人が蜂起します。

コシャマインの戦い

1456年、函館にある志苔館付近の、和人・鍛冶屋にて、客で訪れていたアイヌ男性との間で、口論が起こります。
なんでも、小刀(マキリ)をアイヌ人が注文しますが、品質と価格で争いとなり、鍛冶屋がアイヌ人の男性を刺殺してしまったのです。
このころのアイヌは、製鉄技術が無かったので、刀類は和人から購入するしかなかったと言います。

志苔館

これに対して、渡島半島東部のアイヌ首領・コシャマイン(胡奢魔犬、コサマイヌ)が中心になってアイヌが武装蜂起しました。(コシャマインの乱)

志苔館

この背景には、和人によるアイヌの漁業権、漁猟権の侵害や、アイヌ人の差別や抑圧もし、都合の良い交易(商売)をしていたこともあるのでしょう。
コシャマインの戦いは、和人とアイヌ民族との最初の大規模な民族戦争となりました。

1457年5月、胆振の鵡川から後志の余市までの広い範囲で戦いが発生し、アイヌ軍は小林良景の志苔館も陥落させます。

志苔館

そして、兵力に勝るアイヌ軍は、道南十二館のうち10館まで攻略したのです。
この戦いでは、小林良景は討死したとされ、支城の与倉前館でも小林政景が討死するなど、道南十二館のうち10館まで攻略され、残り花沢館と茂別館の2つとピンチになっています。

江差にも近い比石館(ひいし)もアイヌに攻略されて、畠山重忠の一族・厚谷重政(厚谷右近将監重政が討死しています。
下記は比石館跡のあったとされる石崎岬です。

比石館跡

しかし、1458年に、武田信広が武人らをまとめて総大将として大反撃に出ると、アイヌ勢力は敗退するようになります。
更に負けて逃げるふりをして、コシャマインに和睦の話を持ち掛けた七重浜で、コシャマイン父子を武田信広が弓で射殺すると、ワタリ(同胞・仲間)も多数を討ち取りました。
そのためアイヌ軍は崩壊して鎮圧され、反乱が収まって行きます。

志苔館

志苔館(志海苔館)は、その後も小林氏が城主を務めていたようで、1512年4月16日にもアイヌに攻められて、小林弥太郎良定(小林彌太郎良定)が討死にしたと伝わります。
この小林良治なる武将が、1514年に蠣崎光広(蠣崎光廣)に臣従しています。
この際に、小林良治(小林景宗?)は松前・大舘(徳山館)の城下町に移ったようです。
隠居させられたのか、所領没収となったのかは定かではありませんが、以後、志苔館は廃城となった模様です。

志苔館

なお、小林家は単純に家臣として組み込まれたようで、松前藩の重臣として続いています。

志苔館

1968年の発掘調査では、志苔館の南西100mのところで、埋納されたと推定される越前焼・珠洲焼の大甕3個が発見されました。
アイヌ蜂起の際に、緊急避難的に埋納したものと考えられているようです。
その壺の中には、合計38万7514枚とにる中国の銅銭が出土しており、日本国内で1か所から発見された古銭としては最大級の量となっています。

志苔館

北海道の国史跡はどこも、綺麗に整備されていて、芝生も短くカットされていますが、多分に漏れず、志苔館もとても良い状態でした。
海のかなたに薄っすらと見えるのは「函館山」です。

志苔館

しかし、函館山と津軽海峡の展望も素晴らしく、ほんと住みたくなるような良いところです。
麓に小さな漁港がありますが、恐らく、志苔館が機能していたころから、本州との海上貿易が行われていたことでしょう。

志苔館

駐車場はないので、志苔館跡から函館空港よりに(北に)少し行くと、函館空港に隣接した「志海苔ふれあい公園」があり、そこの無料駐車場が利用できます。

函館空港まで車で15分ほどの距離ですので、帰りのレンタカー返却で1時間くらい時間が余った場合などにもお勧めです。

場所などは当方のオリジナルGoogleマップにてご確認を頂けますと幸いです。

蝦夷地探訪シリーズ

花沢館と蝦夷を統治した蠣崎季繁とは
武田信広の優れた知略と蠣崎光広~本拠地にした勝山館
茂別館と安東家政とは 道南十二館のひとつ
函館の地名の由来にもなった宇須岸館と河野政通~函館南部陣屋も
徳山館・大舘~蠣崎光広(蠣崎光廣)と蠣崎季広
松前城の景観と松前慶広とは~福山館の戦国期と幕末期
安東政季までの安東氏盛隆~安藤康季と安藤義季
蝦夷地の史跡巡り用「北海道観光オリジナルGoogleマップ」

 

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