谷保の城山(三田城、三田氏館跡、谷保城)【東京都国立市】


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京都国立市にある城郭「谷保の城山」(やぼのじょうやま)(三田城、三田氏館跡、谷保城)は、比高8mほどで、青柳段丘が多摩川に面して張り出した台地の突き出しにある中世の複郭式館跡です。

城主については諸説あり、確定していませんが、時代によって城主は当然変わったと考えてよいかと存じます。

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上平太貞貞盛説の館とも、菅原道武とも、その菅原道武から6代目の子孫である津戸為守(津戸三郎為守)の館ともあり、西北には、津戸家(つのと)の守護神とされる神明社が鎮座しています。

三田城の神明社

津戸為守は、鎌倉時代初期の御家人です。
また、国立第一小学校の南側付近にある大樹のしたに「三田領領主-谷保県主-壬生朝尊臣貞盛卿」と彫られた碑があるとの事ですが、下記がそうですかね?(未確認ですので違うかも知れません)
→その後、高橋均さまより、コメント欄に情報をお寄せ頂いておりますので、念のため、記載しておきます。

壬生朝尊臣貞盛の石碑?

三田城(谷保城)は、現在「城山公園」になっていますが、おもしろいのは、館跡(本郭)とされる平坦地は、現在お住まいの方がいて、公園の真ん中付近の四角形が「私有地」で民家があり、立入禁止となっていると言う、非常にユニークな城郭です。

三田城(谷保城)

その民家は明治時代の建築ですが、江戸初期から住んでいる三田家となります。

三田城(谷保城)

城域内には下記のような古井戸もありました。

三田城(谷保城)の古井戸

三田家の伝承ですと、扇谷上杉家で四家老を務めた三田右衛門の子が、北条氏康によって上杉朝輿が滅ぼされたときに、谷保に蟄居したとされます。
しかし、扇谷上杉朝輿は、史実では確かに、1530年6月、小沢原の戦い(小沢城の戦い)で、若い北条氏康に敗退していますが、滅ぼされた訳では無く、1537年4月27日に河越城にて病死し、家督は子の上杉朝定が継いでいます。

三田城(谷保城)

なお、三田氏と言えば、関東管領・山内上杉憲政に臣従し、北条氏康に辛垣城にて抵抗した三田綱秀(青梅の領主)が確かにいます。
1563年、北条氏照によって辛垣城の戦いとなり落城し、三田綱秀は岩槻城太田資正を頼りますが、そこで自刃しました。

三田城(谷保城)

しかし、谷保の城山に住むようになったと言う、三田右衛門については不明ですが、恐らくは三田一族が土着したのは間違いないのではないでしょうか?
このような伝承から、三田氏館跡(三田城)とも呼ばれます。

三田城(谷保城)

近くに「くにたち郷土文化館」での常設展示では、三田城(谷保城)に関する展示もあり、入場無料ですので、ご興味のある方はあわせてご訪問されてはいかがでしょうか?

三田城(谷保城)

南側の丘下には上記のような小川が流れていますので、湧水があるようです。

三田城、三田氏館跡、谷保城へのアクセスですが、JR南武線谷保駅から徒歩15分くらいです。
城山公園の南東には、古民家「柳沢家住宅」が移築されており、その脇に公園駐車場が5台分だけあります。
下記の地図ポイント地点はその駐車場を指しています。

三田綱秀と笛姫の悲劇~武蔵・勝沼城主
高幡城~高幡城の戦い(東京都日野市)
関東管領の上杉憲政とは~平井城と平井金山城
関東の役職である鎌倉公方・関東管領・古河公方などを解説
武蔵・勝沼城 三田氏の本拠地
辛垣城 三田氏滅亡の辛垣城の戦い
江戸にある史跡巡り用オリジナルGoogleマップ

 

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  • コメント (4)

    • 高橋均
    • 2016年 2月 07日

    『「三田領領主-谷保県主-壬生朝尊臣貞盛卿」と彫られた碑』は写真のものではありません。国立第一小学校の脇の道を城山方面へ向い、城山に至る直前に左へ折れる舗装道路を行った奥のほうにあります。位置的には国立第一小学校の東という方が正しいです。ちなみに、国立中央図書館の資料には「駐車場の大樹の下」とありますが、現在は住宅地になっており、さらに大樹は既に残骸が残るのみとなっています。

    • 高田哲也
    • 2016年 2月 07日

    大変貴重な情報、ありがとうございました。(^-^)

    • 高澤
    • 2018年 11月 23日

    3年近く前の記事に失礼します。
    「三田領領主-谷保県主-壬生朝尊臣貞盛卿」と彫られた碑は、上記の高橋さんの指摘を補足致しますと、城山に至る直前に左へ折れる舗装道路を曲がり、突き当たる前に更に左に曲がります。
    奥から3軒目(左側)くらいの庭先に立っています。完全に新しい住宅街の中です。
    家の方がいたので聞いてみたら、家を買った時にオマケで付いてきたとのことでした。
    見た感じはそれほど古い物では無いようで、江戸時代中期以降、ひょっとすると明治に入ってからのものという感じでした。

    • 高田哲也
    • 2018年 11月 23日

    高澤さま、更に詳細の補足を賜りまして、深く御礼を申し上げます。(^-^)

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