投稿者プロフィール

拾丸拾丸

幼い頃から歴史が好きで大学では歴史を本格的に学んでいました。
武将たちの隠れた素顔や生い立ちをわかりやすく伝え、それをきっかけに歴史を好きになってもらえたら嬉しいです。

拾丸一覧

  • 石川昭光

    石川昭光 伊達一門筆頭となった政宗の伯父

    伊達家16代目当主、伊達輝宗には多くの兄弟がおり、輝宗以外は他家へ養子としていきました。 養子となり名を変えても伊達一門として主家に忠誠を誓う兄弟もいましたが、中には養子先の事情により対立した人物もいました。 そ…
  • 蘆名義広

    蘆名義広の解説 当主不在の蘆名家の当主となった佐竹義重の次男

    天正14年(1586年)、蘆名氏当主であった蘆名亀王丸(あしな-かめおうまる)が夭折すると蘆名家は当主不在の状態となってしまいました。 しかし、そんな混乱の最中他家の介入により、新たな蘆名家当主が選ばれます。 そこで…
  • 織田頼長

    織田頼長 織田信長の甥でかぶき者

    戦国三英傑の一人である織田信長が派手好きだったことはご存知かと思います。 そして、織田家には信長同様に派手好きだった人物がいました。 その人物は信長の甥、織田頼長(おだ-よりなが)です。 今回はかぶき手の第一と評さ…
  • 秋月種信

    秋月種信 武士から商人になった朝鮮人

    豊臣秀吉が行った海外出兵、文禄・慶長の役。 朝鮮側は女、子どもに至るまで容赦なく犠牲になり、戦いの凄惨さを物語る中で日本の武士として第2の人生を歩んだ朝鮮人もいました。 その人物は秋月種信(あきづき-たねのぶ)。…
  • 源満仲

    源満仲 多田源氏の祖であり清和源氏を発展させた源氏武者

    清和天皇より始まった清和源氏には、河内源氏や摂津源氏など分家が多数ありました。今回は先ほど紹介した河内源氏や摂津源氏の祖となった源氏たちの親に当たると共に多田源氏の祖でもある源満仲(みなもとの–みつなか)について焦点をあ…
  • 司箭院興仙

    司箭院興仙 細川政元に仕えた修験者

    戦国時代には武士の身分を捨て、山伏として生きた人物がいました。その者の名前は司箭院興仙(しせんいん-こうせん)です。平安時代に武士の身分を捨て僧侶として生きた西行法師を彷彿とさせる戦国版世捨て人、興仙の謎めいた生涯を今回…
  • 江口正吉

    江口正吉 丹羽家を支えた忠義の軍師

    丹羽家は織田信長が存命していた頃の織田政権で無くてはならない存在でした。しかし、当主の丹羽長秀が亡くなると没落。 家臣たちの相次ぐ離反が起こります。 そんな中であっても丹羽家を支えた忠義者がいました。 その人物は江…
  • 常陸・小田城

    八田知家 源氏4代に仕えた常陸守護【鎌倉殿の13人】

    八田知家とは 戦国時代、常陸国の名家として名を馳せていた小田氏。 その祖を辿ってみると、なんと鎌倉時代に源頼朝と共に戦った御家人にまで遡りました。 その御家人は八田知家(はった-ともいえ)という人物で常陸・小田…
  • 里見義堯

    里見義堯 万年君と慕われた仁者

    北条早雲から興った比較的新しい勢力なのにも関わらず、関東で猛威を振るった後北条家。そんな後北条氏と関東の覇権を巡って争った勢力は佐竹家の他にもいました。その勢力は安房国(現在の千葉県南部)を拠点に活躍した戦国大名、里見家…
  • 夏目吉信

    夏目吉信 徳川家康の命を救った忠臣

    若き頃の徳川家康を苦しめた戦「三方ヶ原の戦い」と夏目吉信・・・。 この戦いで家康は武田信玄に完膚なきまで攻められ、死を覚悟したほどと言われています。 それでも家康は家臣たちが命を懸けてまで逃がしてくれたおかげで、撤退…



ピックアップ記事

  1. 阿南姫(おなみひめ)は、米沢城主・伊達晴宗の長女として1541年に生まれた。兄に岩城親隆、弟に伊達輝…
  2. 千姫(せんひめ)は、徳川秀忠とお江の長女として、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で産まれた。…
  3. 戦国武将列伝Ω
    久保姫(くぼひめ)は、飯野平城(陸奥・大館城)主・岩城重隆の長女として1521年に生まれた。 通称…
  4. 竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。 本名は利世(りよ)、安岐姫ともあるが、小説などでの創作名であ…
  5. 瀬名(せな)とも言う築山殿(つきやまどの)は、今川家一族の駿河持船城主・関口親永(関口刑部少輔)(ま…
  6. 山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかってい…
  7. 淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市の…
ページ上部へ戻る