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投稿者プロフィール
高田哲哉日本の歴史研究家
(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。
高田哲哉一覧
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- 2020/12/22
- 毛利氏
毛利元氏 (繁沢元氏)の解説 浜田城を改修した阿川毛利家の租
毛利元氏(もうり もとうじ)は、戦国時代の武将で、1556年、吉川元春の次男として生まれました。 母は、熊谷信直の娘である新庄局で、兄に吉川元長、弟に吉川広家がいます。 1568年に元服すると、毛利元就より「元」の字… -
- 2020/12/3
- 飛鳥・奈良・平安
源頼光「大江山鬼退治」わかりやすく2分で解説
源頼光(みなもと-らいこう)は、948年の平安時代中期に生まれた武将で、正式な読み方は「みなもと-の-よりみつ」となります。 父は、摂津国多田荘を相続した多田源氏の祖・源満仲/多田満仲(ただ-の-みつなか)で、母は、嵯… -
- 2020/11/19
- 鎌倉殿の13人
中原親能の解説【鎌倉殿の13人】朝廷・公家との交渉役
中原親能とは 中原親能 (なかはら の ちかよし)は、鎌倉時代初期の貴族で、1143年に中原広季(藤原光能?)の子として産まれました。 この中原氏は、儒学者を輩出する家柄で、儒学の研究を行っていましたが、法律の専… -
- 2020/11/18
- 鎌倉殿の13人
伊東祐親の解説 八重姫の父で源頼朝の命を狙う
伊東祐親とは 伊東祐親 (いとう すけちか)は、平安時代末期の武将で、伊豆の豪族・伊東祐家の子として産まれましたが、生年は不詳です。 伊東氏は、藤原鎌足から続く藤原南家(藤原不比等の長男・藤原武智麻呂)の流れをく… -
- 2020/11/17
- 鎌倉殿の13人
源行家の解説 以仁王の挙兵【以仁王の令旨】使者
源行家とは 源行家 (みなもと の ゆきいえ)は、平安時代末期の武将で、河内源氏の棟梁・源為義の10男として1141年に生まれました。 母は鈴木重忠の娘?(第15代熊野別当・長快の娘?)ともされ、同じ母が産んだと… -
大姫の解説【源頼朝・北条政子の長女】
大姫とは 大姫 (おおひめ) は、源頼朝の長女として、平安時代末期の1178年に、伊豆にて生まれました。 母は、北条時政の娘・北条政子です。 父・源頼朝は、北条時政に預けられ、伊豆の蛭ケ小島にて謹慎していました… -
源範頼の解説 源義経の次に処罰された源氏
源範頼とは 源範頼 (みなもと の のりより)は、鎌倉時代初期の武将で、河内源氏・源義朝の6男として、1150年頃に生まれました。 母は、池田宿(磐田市)にいた遊女とされますが、地元有力者の娘とも考えられています… -
源頼家 5分でよくわかる解説【鎌倉幕府第2代将軍】2代目鎌倉殿
源頼家とは 源頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉時代の1182年8月12日に生まれました。 父は鎌倉幕府を開いた源頼朝で、母は正室・北条政子となり、嫡男として、鎌倉・比企ヶ谷にある比企能員の屋敷で誕生していま… -
比企能員(ひき-よしかず)の解説 北条氏のハメられた?【比企能員の変】
比企能員とは 比企能員(ひき-よしかず)は、鎌倉時代初期に活躍した武将(鎌倉幕府・御家人)です。 比企氏(ひきし)の本拠地は武蔵国比企郡(埼玉県比企郡と東松山市)で、下野と武蔵の国司だった国藤原秀郷の末裔を称して… -
北条宗時の解説 石橋山の戦いで逃亡中に討死した経緯
北条宗時とは 北条宗時 (ほうじょう-むねとき) は、平安時代の終わり頃の武将で、生年は不明ですが、伊豆の豪族・北条時政の嫡男として生まれました。 母は不詳ですが、父・北条時政の最初の正室である伊東祐親の娘と推定…
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千姫(せんひめ)は、徳川秀忠とお江の長女として、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で産まれた。…
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築山殿(瀬名)とは 瀬名(せな)とも言う築山殿(つきやまどの)は、今川家一族の駿河持船城主・関…
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片倉喜多(かたくら-きた)は、1538年に伊達家臣・鬼庭良直の娘(長女)として生まれた。 母は…
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阿古姫(あこひめ)は、長宗我部元親の3娘です。 長宗我部氏の家臣で、上ノ加江城主である佐竹親直…
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淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市の…