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カテゴリー:寄稿
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金森長近の解説「気相の人」天下人からの信望厚く戦国乱世を駆け抜けた名脇役
金森長近とは 金森長近(かなもり-ながちか)は、戦国時代の大永4年(1524年)に大畑定近の次男として美濃国に生まれた、戦国武将・大名で織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた人物である。 織田信長より10歳ほど年上… -
足利義持の解説~相次ぐ国難に向き合い室町幕府体制を真に確立した4代将軍
足利義持とは 足利義持(あしかが よしもち)は室町幕府第4代将軍で、法皇として権勢を誇った、足利将軍3代・足利義満の3男として、1386年に生まれました。 足利義持は幼少の頃から父・足利義満の後継者としての… -
斯波義統の解説~織田信長に賭けた足利一族である名門
斯波義統とは 斯波義統(しば-よしむね)は尾張守護の斯波義達の嫡男で、生まれは永正10年(1513年)官途は治部大輔・左兵衛佐、「義元」あるいは「義遠」とも名乗ったと言われています。 斯波氏は清和源氏の足利氏… -
大内義弘の解説~応永の乱に散った大内氏の礎
大内義弘とは 大内義弘(おおうち よしひろ)は大内弘世の嫡子で、室町から戦国期に大勢力を誇った大内氏の礎を築いた人物です。 通説では、大内氏の本拠地周防の山口は大内義弘の父大内弘世によって開府したといわれてい… -
大内輝弘の解説~露に消えた大内家再興の灯「大内輝弘の乱」
大内輝弘とは 大内輝弘(おおうち-てるひろ)は、周防国・長門国の戦国大名である大内氏の一族・大内高弘の息子として生まれます。 父・大内高広は周防の大内政弘の息子で大内義興の兄弟です。 しかし明応8年(1499年… -
後鳥羽天皇の解説~承久の乱に消えた倒幕の野望
後鳥羽天皇とは 後鳥羽天皇(ごとば-てんのう)は治承4年(1180年)、高倉天皇と七条門院・藤原殖子の第4皇子・尊成(たかひら、もしくはたかなり)親王として誕生しました。 祖父は後白河法皇、異母兄として安徳天皇、… -
大内政弘の解説~天下に名を馳せた西軍の重鎮
大内政弘とは 大内政弘(おおうち まさひろ)は、室町時代の文安3年(1446年)、大内氏第13代当主・大内教弘の嫡子として生まれます。 幼名は亀童丸 太郎といい、母は山名熙貴の娘で山名宗全の養女でした。 大内政… -
石川昭光 伊達一門筆頭となった政宗の伯父
伊達家16代目当主、伊達輝宗には多くの兄弟がおり、輝宗以外は他家へ養子としていきました。 養子となり名を変えても伊達一門として主家に忠誠を誓う兄弟もいましたが、中には養子先の事情により対立した人物もいました。 そ… -
陶晴賢の解説 西国無双の侍大将
陶晴賢(すえ-はるたか)は、戦国時代の大永元年(1521年)周防の大内氏重臣陶興房の次男として生まれます。 陶氏は主家大内氏の庶流であり、興房は周防国守護代として大内義興・大内義隆親子に仕え尼子氏や小弐氏との戦いで勝利… -
大内義長の解説 傀儡と言われつつも潔く散った悲運の将
大内義長(おおうち-よしなが)は、豊後の大内義鑑の次男として戦国時代に生まれます。 母は大内義隆の姉で幼名は塩乙丸、通称は八郎。 兄には大友宗麟、弟には塩市丸がいます。 戦国期、大友氏と大内氏は北九州を巡り対立…