カテゴリー:寄稿
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越後国(新潟県)を本拠地とする上杉謙信(旧名:長尾景虎 1530~1578)は誰もが知る戦国期を代表する群雄の1人でありますが、戦国期~現代という永い時を経ても謙信が名将として誉れ高い所以は、やはり合戦面で殆ど負けを知…
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脇屋義助(わきや よしすけ)は、鎌倉を攻め落とした新田義貞の実弟で鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将です。
通称は、脇屋次郎。父は新田朝氏で上野国新田郡に生まれます。
生年は、正安3年(1301年)説、嘉元元年(1…
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細川昭元(ほそかわ-あきもと)は、細川吉兆家当主で室町幕府第34代管領の細川晴元と近江国国主・六角定頼の娘との間に天文17年(1548年)に生まれました。
幼名を聡明丸といいます。
昭元が生まれた頃の京都は、父・晴元…
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天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)は、日本で上位を争う戦国時代の宗教戦争として有名です。
これは、日本仏教の総本山とも言われる比叡山(天台宗)と京都で勢力拡大して大きな力を持った法華宗(日蓮宗)との争いになります…
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令和元年(2019年)の大規模火災で首里城が焼失するニュースが日本中を駆け巡ったのは今も記憶に新しく、遅ればせながらもお見舞い申し上げます。
首里城は琉球王国時代、そして日本に組み込まれた近代以降もたびたび線化や火災に…
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天正14年(1586年)、蘆名氏当主であった蘆名亀王丸(あしな-かめおうまる)が夭折すると蘆名家は当主不在の状態となってしまいました。
しかし、そんな混乱の最中他家の介入により、新たな蘆名家当主が選ばれます。
そこで…
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南北朝時代に活躍した女性と言うと、皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか。
勾当内侍、赤橋登子、南江久子、雛鶴姫などの女性達は、『太平記』などを元にした作品のヒロインになるなど今でも人気が高いですが、彼女らの頂点に立つ巨星…
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興雲院(きょううんいん)・通称:お鍋の方(おなべのかた)は、織田信長の側室の一人です。
戦国時代の天文14年(1545年)、近江野洲郡の土豪、高畑源十郎の娘として生まれたと言われていますが定かではありません。
安土城…
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松平清康(まつだいらきよやす)は、安祥松平家の第7代当主として三河に勢力基盤を築いた戦国時代の武将です。
徳川家康の祖父であり、松平氏が「徳川」になるきっかけを作った人物でもあります。
12歳で家督を継ぎ、わずか10…
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大内義隆(おおうち-よしたか)は永正4年(1507年)11月15日大内義興の嫡男として生まれます。
幼名は亀童丸といい母は大内家家臣内藤弘矩の娘でした。
大内義隆は少年時代に周防介の略称で「介殿様」と呼ばれており、こ…
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久保姫(くぼひめ)は、飯野平城(陸奥・大館城)主・岩城重隆の長女として1521年に生まれた。
通称…
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戦国時代には関東にも「足利氏姫」と言う女城主がいたと言うのは、あまり知られていないだろう。
157…
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淀殿(よどどの)は1569年に近江・小谷城にて誕生した。
父は浅井長政で、母は織田信長の妹・お市の…
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奈多夫人(なだふじん)は大友義鎮(大友宗麟)の継室です。
奈多城主でもある八幡奈多宮の大宮司・奈多…
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早川殿(はやかわどの)は、早河殿とも書きますが、今川氏真の正室になった女性です。
NHKの2017…
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木曽義昌/木曾義昌(きそ-よしまさ)は、木曾谷領主(木曽福島城主)・木曾義康の嫡男として1540年に…
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稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の美濃・本…
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