島津忠良の功績~島津氏中興の祖・島津日新斎をわかりやすく解説

島津忠良

島津忠良とは

島津忠良 (しまづ ただよし) は戦国武将で薩摩を中心に、九州地方南部で存在感を示し続けた島津一族

そんな島津氏の飛躍に力を注いだのが、島津氏中興の祖となった島津忠良(1492年~1568年)である

この記事では、島津忠良がいかにして島津家の土台を盤石なものにしたのかを追ってみたい


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島津氏の起源

島津氏の起源は鎌倉時代初期の守護・惟宗忠久(?~1227年)までさかのぼる

惟宗一族は平安時代は朝廷と藤原摂関家に仕えており、薩摩・大隅・日向(現在の鹿児島・宮崎)にまたがる荘園を管理していた

この荘園名が「島津荘」だった

平安時代末期、惟宗忠久は源頼朝の奥州攻めに参加をした

その功績もあり、源頼朝から島津荘の下司職※に任命された

※下司職:現地を管理する職

その後、薩摩・大隅・日向の守護に任命され、名字を惟宗から「島津」に改めた

南北朝の動乱時には南朝につき、(南)朝廷が戦いを有利にしようと九州支配を強めようとしたが薩摩含む南九州への支配が強まるとわかると一転、朝廷に抵抗

南朝の軍との戦いを次々に攻略・勝利し、九州での地位をゆるぎないものにしたのである

島津氏の分裂

室町時代 島津一族の内紛から再興へ

3国にまたがる「島津荘」

広大な島津荘の管理は決して簡単ではなかった

島津一族の分家の中には、島津荘からの独立を狙う者も出るようになり、分裂と内紛を繰り返した
 
互いに削りあった結果、島津家の勢力は、実質薩摩1国のみにまで落ちていった


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中興の祖・島津忠良と息子・島津貴久

島津家中興の祖・島津忠良

分裂した島津家を再び1つにまとめたのが、伊作城を拠点とする島津忠良であった。

当時、島津家は2つの勢力に分裂していた

1つが、島津忠良・貴久親子を中心とする勢力

もう1つが(島津家当主)島津勝久(1503~1573)の正室の兄・島津実久(?~?)を中心とする勢力である

当主である勝久にこの2勢力を抑え込む力はなく、両者の対立は合戦にまで発展した

忠良はこの戦いで実久勢に勝利し、ついに島津家の統一に成功したのである

忠良はその後息子・貴久に宗家の座を継がせ、分立していた日向・大隅も取り返すことに成功する

その後、貴久を中心に島津家は九州統一という目標に挑むことになった

統一後の政治改革「強い薩摩」

薩摩国を発展させるため、忠良・貴久親子のこだわったことが「強い薩摩」づくりだった

忠良と貴久は、島津家統一後に内政を強化するため、10か条の掟を制定する

内容の一部を紹介すると、

「若者は武芸・相撲・水泳訓練・山坂を歩く訓練をして、いつも手足を鍛えておくこと」

「仲間の中で困窮している者がいれば、いつでも島津本家に申し出ること」

「役人が庶民の訴えをないことにしたり、間違えた裁きを下すことがあれば忠良・貴久親子に申し出ること」

などがある

まとめると、

・戦が起こっても負けない軍にすること
・お金に困っているものがいれば積極的に救済すること
・農民(庶民)の立場に立って役人は仕事を行うよう求めていること

と、庶民の不満をためず、戦がいつ起こっても大丈夫なよう軍事訓練することも訴えている


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島津家統一までの苦労を考えると、弱者救済は生活に困る者たちを助けることに加え、

忠良・貴久以外の者のもとへ集まり一大勢力となることを防ぐ狙いもあったのだろう

忠良が中心となって方針を発表し、貴久がこれを先頭に立って掟を守ることで家臣にも徹底を求めたのである

島津忠良の出家

島津忠良は、政治の表舞台から退いた後出家して「愚杏軒日新斎(ぐきょうけんにっしんさい)」と称した

そんな忠良が晩年力を注いだのが、島津家の家訓として語り継がれる“道徳訓”の作成だった

出家後の「愚杏軒日新斎」から、忠良は「日新公」と呼ばれるようになっており、

彼の人生訓は「日新公いろは歌」として、政治や学問に向き合う姿勢、人との付き合いで大切なこと

を説いた

例えば、

「い いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし」
→昔の人の道理や知恵を聞いても口に出しても、(自分の)行動にしなければ意味がない

「き 聞くことも又見ることも心がら みな迷いなり みな悟りなり」
→聞いたこと・見たことは心の持ち方次第で 迷いにもなるし悟りにもなる

など、代々島津家の家訓として語り継がれていく※

※鹿児島県加世田市では、現在も日新公いろは歌のかるた大会が行われている


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また、忠良と貴久は薩摩国内の家臣団強化にも着手した

これまでは家臣に入れなかったような小土地の領主も家臣団に組み入れて団結し、

先にのべた大隅国・日向国の統一の準備を進めていく(つづく)

(寄稿) とら蔵(とらぞう)

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