カテゴリー:北畠氏
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北畠親房 神皇正統記を遺した南朝の重鎮
後醍醐天皇の重臣として南北朝時代を生きた北畠親房(きたばたけ-ちかふさ)は、正応6年(1293年)に北畠師重と藤原隆重の娘の間に生まれました。 親房の系譜上における実父は師重ですが、祖父である北畠師親の養子になっていま… -
北畠顕家とは~若くして散った北畠親房最愛の長男~
南北朝時代は足利尊氏、楠木正成など武士が戦った時代に思われがちですが、公卿や皇族など宮中に仕える人々も戦いに身を投じていました。 今回紹介する北畠顕家は、そうした貴族武将の中でも人気の高い人物の一人です。 北畠顕… -
北畠晴具とは~北畠家の勢力を拡大した七代目当主~
北畠晴具(きたばたけ-はるとも)は文亀3年(1503年)、伊勢国司である北畠材親(きちか)の長男として生まれました。 伊勢国司としての北畠家は南北朝時代に活躍した貴族出身の武将・北畠顕能(あきよし)を開祖とする名門で、… -
長野左京亮と柘植三郎左衛門(柘植保重)の伊賀・伊勢での行い
北畠家の家臣であった長野左京亮と柘植三郎三右衛門(柘植保重)に関して、分かっていることをできる限り記述しておこうと存じます。 長野左京亮 長野左京亮は、長野左京進ともある、1544年生まれの北畠家の侍大将… -
下山甲斐と下山平兵衛とは~伊賀66人衆の筆頭格で伊賀忍者を裏切る頭領
下山甲斐(しもやま-かい)は生没年不詳ですが、伊賀名張郡の武将です。 名張市奈垣竹之垣内に、奈垣下山甲斐守城跡と言う比高50mの丘城があり、下山甲斐の本拠だったと考えられます。 そもそも下山氏と言うのは、… -
剣聖上泉伊勢守信綱~新陰流の創始者で剣豪の上泉信綱とは
上泉信綱(かみいずみ-のぶつな)に関して、できる限りわかりやすく簡潔にその生涯を記載してみたいと存じます。 上泉伊勢守信綱は、上州(群馬)出身の戦国時代の兵法家・剣豪となります。 父は諸説あり、大胡武蔵守… -
日置大膳とは~松ヶ島細首城主だった日置大膳亮
日置大膳(へき-だいぜん)は、北畠具教の家臣で松ヶ島細首城主ですが、生没年などは不詳です。 寺社奉行を務めていたようで、兄・高松左兵衛督は大河内城の旗頭でした。 1569年(永禄12年)に織田信長が伊勢を攻め… -
北畠具教と雪姫~信長に乗っ取られた伊勢国司の末路
北畠具教(きたばたけ-とものり)は、伊勢国司・第7代である北畠晴具の子として1528年に生まれました。 母は室町幕府管領・細川高国の娘です。 父・北畠晴具は文武両道の名将で、志摩・吉野・十津川と勢力を拡大しており…