長野左京亮と柘植三郎左衛門(柘植保重)の伊賀・伊勢での行い

長野左京亮

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北畠家の家臣であった長野左京亮と柘植三郎三右衛門(柘植保重)に関して、分かっていることをできる限り記述しておこうと存じます。

長野左京亮

長野左京亮は、長野左京進ともある、1544年生まれの北畠家の侍大将でした。
曾我兄弟に殺害された工藤祐経の系統である、長野工藤氏の庶流と考えられます。

小倭山田野城主でしたが、永禄12年に織田信長が伊勢に侵攻すると、北畠家の本拠地・大河内城にて籠城して、日置大膳亮や家木之清と多数を討ち取り功名を立てます。
北畠具教と織田信長が和睦すると、織田信雄の家臣に組み込まれました。

天正4年(1576年)11月25日、織田信雄(北畠信雄)の命を受けて、長野左京亮は、藤方朝成(藤方刑部少輔)の家臣・加留左京進、滝川雄利(滝川三郎兵衛)・柘植保重(柘植三郎左衛門)・奥山常陸介らとともに、北畠具教が隠居していた三瀬館を訪れ、旧主・北畠具教を槍で討ち取っています。(三瀬の変)
長野具藤も田丸城で北畠一族もろとも殺害されました。

1584年、豊臣秀吉と織田信雄の戸木の戦いでは、はじめ木造具政・木造長政に味方しますが、途中で羽柴家(豊臣家)に寝返りました。
しかし、長野左京亮は同じ長野工藤氏の一族である小倭領の家所氏により、1584年、津往還にて討たれたとされます。

柘植三郎左衛門(柘植保重)

柘植三郎左衛門は、柘植保重(つげ-やすしげ)と言う名で一般的に知られる戦国武将です。

諸説ありますが、伊賀の土豪・福地宗隆の子で、滝川雄利の姉の夫、または滝川雄利の実父との説もあります。

柘植保重は、北畠具教の実弟である木造具政の家臣でしたが、織田信長が伊勢攻めを行うと、主君・木造具政に対して織田家に寝返るよう説得しました。
こうして、滝川雄利らと共に織田家に降伏しましたが、北畠家に人質に出していた柘植保重の妻子は処刑されています。

永禄12年(1569年)、5万の織田税が北畠領に侵攻すると、柘植保重は北畠具房(北畠具教の子)の居城である大河内城の攻撃に加わりました。
北畠具房が織田信長の次男・茶筅丸(織田信雄)を、北畠家へ養子に入れると、柘植保重は織田信雄の家老となっています。

天正4年(1576年)、三瀬の変の際に、柘植保重は長野左京亮、藤方朝藤の家臣・加留左京らと共に、北畠具教とまだ3歳の徳松丸、1歳の亀松丸らを討ち取るべく三瀬御所にて殺害しています。(諸説あり)
天正7年(1579年)、主君・織田信雄(北畠中将信雄)に従って日置大膳亮らと伊賀に攻めました。(第一次天正伊賀の乱)
しかし、伊賀勢のゲリラ戦法によって不利となり、退却する際、9月17日、柘植保重は伊賀の植田光次に討たれています。

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