カテゴリー:蠣崎氏
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蠣崎義広とは アイヌとの戦いにあけくれる
蠣崎義広(かきざき-よしひろ)は、蠣崎光広の子として1479年に生まれました。 1512年に、蝦夷地のアイヌ村長でるショヤ(庶野)とコウジ(訇時)の兄弟が蜂起した、ショヤコウジ兄弟の戦いでは、上国守護職であった父・蠣崎… -
安東政季までの安東氏盛隆~安藤康季と安藤義季
安藤康季と安藤義季 1395年、室町幕府の将軍・足利義満は、津軽十三湊下国の安藤盛季の弟・安東鹿季を、出羽国秋田(上国家)の新領主とし、秋田城介の討伐を行っています。 十三湊の安東盛季が南部義政に敗れたあと、下国… -
松前城の最北景観と松前慶広とは~福山館の戦国期と幕末期【蝦夷・北海道】
松前慶広(まつまえ-よしひろ)は、上記の通り、蠣崎季広の子で母は河野季通の娘です。 幼名は「天才丸」と言いました。 このページでは福山館・松前城の歴史・写真を含めてご紹介して参りたいと存じます。 1582年に檜… -
蠣崎光広(蠣崎光廣) 蠣崎氏拡大の策士
蠣崎光広(かきざき-みつひろ)は、蝦夷・勝山城主である武田信広(蠣崎信広)の嫡男として1456年3月に生まれました。 母は安東政季の娘(蠣崎季繁の養女)です。 父は、1457年に、コシャマインの戦いを策略を用いた制し… -
武田信広 優れた知略にて蝦夷を支配する
武田信広(たけだ-のぶひろ)は、若狭の守護大名・武田信賢の子として、1431年2月1日、若狭小浜・青井山城にて生まれたとされます。 幼名は彦太郎ですが、母は不詳です。 北海道の勝山城と共にご紹介してみます。 父であ…