下山甲斐と下山平兵衛とは~伊賀66人衆の筆頭格で伊賀忍者を裏切る頭領

下山甲斐




下山甲斐(しもやま-かい)は生没年不詳ですが、伊賀名張郡の武将です。

名張市奈垣竹之垣内に、奈垣下山甲斐守城跡と言う比高50mの丘城があり、下山甲斐の本拠だったと考えられます。

そもそも下山氏と言うのは、足利家の家臣で、下山八郎重定が奈垣に移ると伊賀守と称したとあります。

勢州軍記によると、下山甲斐は伊賀守護の仁木氏が滅びたあと、伊賀支配66人衆の1人で、自領が神宮領だったため、北畠具教に仕えると旗頭であったとあります。



1506年には、下山重澄の嫡男・下山重信が下比奈知に「下山甲斐守城」を築城(1573年説もあり)し、3男の下山甲斐守重長が奈垣「下山甲斐守城」を担当したようです。

1576年に織田信雄が、北畠具教ら北畠一族を三瀬の変で暗殺して伊勢を掌握します。
その後、織田家は伊賀も狙う訳ですが、1578年、伊賀の郷士で日奈知城主・下山平兵衛(下山甲斐守)が織田信雄を訪ねて、伊賀への手引きを申し出たともあります。

伊賀国守護職の仁木義視が伊賀を追われると、1579年(天正7年)9月、下山甲斐守は仲間を裏切って、伊賀忍者の団結が弱まっていると織田信雄に報告して寝返り、伊賀攻撃を勧めました。
そして、織田信雄は8000にて伊賀攻めを開始しますが、この動きは伊賀を守る忍者によって筒抜けであり、勢州軍記によると下山甲斐は捕縛されたとあります。

この時、織田信雄(北畠信雄)の家臣・滝川雄利は、伊賀攻めの拠点にしようと丸山城を築城していましたが、付近の豪族衆(百田藤兵衛、町井貞信、阿波正高、富野重正、平松源八、平野善八郎、沼田彦七、森脇甚助、三輪善之助、出後正高、井上新左衛門、沢村重久、大井源兵衛、久保源八郎)が築城途中の丸山城を攻撃し、不意を突かれた滝川雄利は伊勢へと敗走しました。

このように伊賀土豪らの恨みを買ったため、奈垣に下山甲斐守城を築き居住したともされます。
他には1581年の第二次天正伊賀の乱にて、下山甲斐は伊賀の土豪と共に戦って脇坂安治の軍勢に切り込みますが討死したともあります。

いずれにせよ、諸説あり、代々、下山甲斐守と称していることから混同も多く、分からない事が多いのが下山甲斐守です。
皆様からも何か情報があれば、ぜひ、コメント欄にでもお寄せ願えますと幸いです。

2017年の公開映画「忍びの国」では、下山甲斐を俳優・でんでんさん、嫡男・下山平兵衛を鈴木亮平さん、策略に使われる次男・下山次郎兵衛を満島真之介さんが演じられます。

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