カテゴリー:長宗我部氏
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長宗我部兼序 名将と言われながら滅亡を招いた長宗我部元親の祖父
長宗我部兼序(ちょうそかべ かねつぐ)は、室町時代後期の土佐の有力武将です。 土佐の出来人と呼ばれ、四国全土に版図を広げた長宗我部元親。 しかし祖父の長曾我部兼序の代に長宗我部家は一度滅亡しています。 「家臣からの… -
秋月種信 武士から商人になった朝鮮人
豊臣秀吉が行った海外出兵、文禄・慶長の役。 朝鮮側は女、子どもに至るまで容赦なく犠牲になり、戦いの凄惨さを物語る中で日本の武士として第2の人生を歩んだ朝鮮人もいました。 その人物は秋月種信(あきづき-たねのぶ)。… -
小笠原成助(一宮成祐)~阿波国主に一時なった有力武将
小笠原成助(おがさわら-なりすけ)は、阿波小笠原氏の第12代当主です。 一宮城主であることから「一宮成助」(いちのみや-なりすけ)とも呼ばれます。 正室は、三好長慶の妹、野口冬長の娘です。 阿波で三好氏が台… -
小少将(こしょうしょう)~四国の大名家を渡り歩いた謎多き美女に迫ってみた
小少将 小少将(こしょうしょう)は女性の名前であるが「通称」であり、本当の名前ではありません。 誤解の無いように申し上げておく必要があるのですが、日本の歴史に登場する小少将と言う女性は、通称だけに8名くらいはおり… -
長宗我部元親 ~四国の覇王、栄光と挫折~【戦国人物伝7】
秦の始皇帝の末裔。そう聞くと、何かワクワクするものがありますよね。 今回紹介する長宗我部元親は、秦の始皇帝の末裔と言われています。実際にはわかっていませんが、伝承によるとそう伝えられているのです。 正式な名乗りは、長… -
吉田東洋に繋がる長宗我部家の重臣「吉田氏」は優秀な一族であった
幕末の土佐藩・重臣である吉田東洋(よしだ-とうよう)に繋がる、戦国時代の吉田家を調べてみますと、戦国時代から優秀な一族であったことがわかりました。 吉田東洋じたいは、土佐藩の上士・吉田正清(馬廻格・200石)の… -
一領具足とは 浦戸一揆 一領具足供養の碑
一領具足とは 一領具足(いちりょうぐそく)と言うのは、長宗我部氏が兵農分離を行う前に、農民や地侍を対象に武装させた兵・組織・屯田兵のことです。 織田信長が兵農分離を始めるまで、戦国時代の軍勢と言うものは、合戦の総… -
阿古姫と佐竹親直~大坂の陣にて伊達家が匿った長宗我部家の娘
阿古姫(あこひめ)は、長宗我部元親の3娘です。 長宗我部氏の家臣で、上ノ加江城主である佐竹親直を重用した長宗我部元親は、三女の阿古姫を嫁がせました。 男子2人もうけていますが、この阿古姫と佐竹親直の生涯を調べてみ… -
香宗我部親泰とは~香宗城跡と長宗我部氏との関係
香宗我部親泰 香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)は長宗我部国親の3男として1543年に生まれました。 母は不明です。 正室は香宗我部秀通の娘となります。 下記は香宗我部氏の本貫である香宗城跡で、わず… -
長宗我部信親とは 戸次川の戦い 無念の壮絶な最期を遂げる
長宗我部信親(ちょうそかべ-のぶちか)は、土佐の戦国大名・長宗我部元親の嫡男として1565年に生まれました。 母は元親夫人と呼ばれる石谷光政の次女で、1563年、蜷川親長の仲介を受けて25歳の時に嫁ぎました。長宗我部元…