百地三太夫~伊賀忍術の祖と百地丹波・藤林長門守



百地三太夫(ももちさんだゆう)は、土豪・百地清右衛門の嫡男として1512年に名張中村にて生まれたとされ、本名は百地丹波(ももち-たんば)と呼ばれる。
百地泰光とも百地正西とも言われるが、百地三太夫は伊賀忍者の上忍でもあり伊賀三上忍の1人とされ、伊賀の忍者組織の全体統括した服部家と藤林家と並んで3人組の1人となる。

しかし、忍者と言う職業柄、出自も含めて不明な点が多いが、大泥棒・石川五右衛門の師匠であるとも考えられている。
また、伊賀流忍術の極意は霧隠才蔵に伝授したとも伝わっており、名張市竜口に百地屋敷跡がある。



なお、服部半蔵徳川家康に仕えるようになって、伊賀の里を去ると、藤林家と百地家が独立集団として伊賀忍者衆を統率したと言われる。

百地三太夫の名が出てくるのは、1579年に、織田信長の次男・織田信雄8000が伊賀を侵攻した際の「第1次・天正伊賀の乱」となる。
伊賀忍者は百地三太夫と藤林長戸守のもとに結束し、織田信雄の拠点・丸山城を奇襲し、不意を突かれた織田勢は敗走。
また、伊賀衆は夜襲や松明を用いた撹乱作戦なども展開し、織田信雄はあわや討死するような場面もあったと言う。

逃げ帰って来た織田信雄は、織田信長より「親子の縁を切る」とまで、叱責されたが、これにより織田信長は伊賀忍者を脅威と感じるようになった。

そのため、1581年、織田信長は自ら50000の大軍を率いて伊賀へ侵攻。(第2次・天正伊賀の乱)。

伊賀の里に協力していた甲賀忍者から寝返る者が出て、情報が織田勢に漏れたことで、作戦は破たん。
これにより、伊賀忍者は大敗を喫し、百地三太夫は柏原城へ逃れて篭城する。
しかし、衆寡敵せず百地三太夫は仲間と共に討死した。

生き残った伊賀忍者は、追っ手から逃れるため各地に散らばり、一部は根来忍者に合流したとも言われている。

なお、百地三太夫は1595年頃まで存命していたとする説もあるが、一族の同姓同名の甥や子らの可能性もある。
また、ももちの「ち」が血と同じ読みであることから、一族は「ももじ」と言うように改めたとされ、現在でも百地家は「ももじ」と称している。

百地丹波

最近の研究では、天正伊賀の乱で討死したのは「百地三太夫」では無く、百地丹波であったとされる。
これは、百地丹波が伊賀の忍者を率いた武将で、その百地丹波の孫となる百地三太夫が、柏原城が陥落した際に脱出し、伊賀忍者らと根来寺に向かったとされている。

考えるに、百地三太夫と言う名称は、服部半蔵と同じで、代々、名乗り継いだ名であったものと推測できる。


藤林長門守

伊賀忍者の服部家・藤林家・百地家で、一番良く分からないのが、藤林家の藤林長門守である。
百地三太夫と藤林長門守は、同じ時代に存在しながら、天正伊賀の乱における藤林長門守の動向は不明となっている。
藤林長門守は甲賀とも縁があった為、甲賀と一緒に織田家に寝返ったとも言われているが確証はない。
そのため、百地三太夫が1人2役で、藤林長門守を演じていたともされる。
その場合、百地家が断絶したとしても、藤林家があるため、引き続き伊賀忍者は、敵に脅威を与えると言うような工作を行っていたとも推測できる。
また、藤林長門守は武田信玄の軍師・山本勘助に忍術を教えていたとも言われている。

忍者衣装


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