カテゴリー:浅井氏
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磯野員昌の解説 織田勢に肉薄した近江の猛将と磯野行尚
磯野員昌(いその-かずまさ)は磯野員宗の子として1523年に生まれた。 この磯野家は近江・湖北四家のひとつで、京極高吉に従っていたが、同じく京極氏の家臣であった小谷城主・浅井亮政が勢力を強める。 主家である磯野山… -
姉川の戦い 遠藤直経 信長暗殺を進言した知勇兼備の謀将【姉川合戦場探訪】
遠藤直経(えんどう-なおつね)は、近江の須川城主・遠藤主膳の子として1531年に生まれました。通称は遠藤喜右衛門です。 遠藤家の先祖は近江に所領を得た鎌倉武士です。 まだ浅井家が京極家の被官に過ぎなかった頃からの、浅… -
浅井長政の解説「詳細版」初陣で3倍の敵兵力に勝利した勇将
浅井長政(あざい-ながまさ)は、戦国時代の1545年、小谷城主・浅井久政の嫡男として、観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町)で生まれた。幼名は猿夜叉丸。 母は正室・小野殿(井口経元の娘・阿古御料人)で、18歳で浅井… -
浅井久政 行政手腕や外交手腕を発揮し小谷城を強固にした戦国大名
浅井久政(あざい-ひさまさ)は戦国時代の1526年、浅井亮政の長子(庶長子の説あり)として誕生した。 諸説あるが生母は側室・馨庵(近江尼子氏)とされる。 なお、浅井過去帳などによると、浅井久政は六角宗能(六角親泰)の… -
義理堅く心優しい、江北の雄・浅井長政
私が個人的に好きな武将の二位は、明智光秀公なのですが、一位は、浅井長政公です。 此度は浅井長政公の人間性が伺えるエピソードを綴らせて頂きたく思います。 その前に浅井長政公を簡単にご紹介させて頂きます。 … -
大坂落城を生き抜いた豊臣家の侍女「おきく」の決死行
大坂夏の陣と言えば、真田幸村と後藤又兵衛の奮戦、豊臣滅亡の悲劇と見どころが満載の戦です。 一方、その様子を黒田長政が描き残させた『大坂夏の陣図屏風』には落城後に無差別な乱暴狼藉が行われ、女性などの弱者が蹂躙される様子が… -
宮部継潤の解説 豊臣秀吉に仕えて出世した武勇ある浅井家の家臣
宮部継潤(みやべ-けいじゅん)は、1528年に生まれたとされる、小谷城主・浅井長政の家臣です。 幼名は孫八。 もともとは、近江国浅井郡宮部村の豪族の出で、父は土肥氏の後裔である土肥真舜とされますが、9歳のときに比… -
お初~常高院-浅井初とは【浅井三姉妹】豊臣家と徳川家の橋渡し役
常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。 父は小谷城主・浅井長政で、母はお市の方(織田信長の妹)。 姉に茶々(淀殿)、妹にお江(崇源院)がおり「浅井3姉妹」と呼ばれる。 … -
饗庭局(あえばのつぼね)~最期まで淀殿に忠義を貫いた浅井の女性
饗庭局(あえばのつぼね)の父は田屋明政で、母は浅井亮政の嫡女・浅井鶴千代(栖松院)だが生年は不明。 父・田屋明政は、浅井氏の一族で、北近江・高島郷を支配する土豪であった。 浅井亮政の娘と結婚したのは、浅井亮政… -
お市の方 (お市)~ 浅井長政に嫁いだ戦国一の美女 数奇な生涯と生存説も解説
お市の方は、1547年?に織田信秀の娘として誕生した。呼称としては、市、お市の方、市姫、小谷の方(おだにのかた)。 母は側室または正室(継室)の土田御前で不明だが、織田家での待遇が姉妹の中では比較的良いので土田御前の可…