カテゴリー:島津氏
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島津歳久の解説~秀吉に弓引いた智計並びなき武将
島津歳久(しまづ としひさ)は、薩摩国の守護大名・島津貴久の三男として天文6年(1537年)に薩摩・伊作城で生まれました。 通称を又六郎といい、後に左衛門督を名乗り、その唐名の金吾とも呼ばれています。 母は入来院重聡… -
相良頼房 深水宗方 犬童頼兄 人吉城の相良家物語
人吉の戦国武将である相良頼房、深水宗方、犬童頼兄を中心にご紹介します。 相良頼房(さがら-よりふさ)は、人吉城主・相良義陽の次男として1574年5月4日に生まれました。幼名は長寿丸。 母は豊永長英の娘・了信尼です。… -
島津氏強気の外交…外交で勝利した歴史
関ケ原の戦いと言えば説明不要、日本列島中の大名が利害関係等で東西軍に二分して戦い、勝った東軍が徳川家康をトップに日本列島の秩序の礎を築いた戦いです。 よって、基本は東軍優位の秩序であって、西軍の大名たちはお家とりつぶし… -
薩摩藩による奄美大島侵攻と本仮屋(代官所)跡~赤木名城も
関ヶ原の戦いのあと、薩摩を安堵された島津家は、1609年3月から、奄美・琉球に対して軍事行動を開始しました。 琉球征伐(りゅうきゅうせいばつ)とも呼ばれる侵攻ですが、すでに江戸幕府が成立している江戸時代の初期ですので、… -
亀寿姫 持明院様 じめさぁ ~お参りすると美人になる鶴嶺神社
島津亀寿(しまづ-かめじゅ)と言う薩摩のお姫様がいます。 亀寿姫と呼びますが、法名から薩摩では持明院様(じめさあ)と親しまれています。 島津家第16代当主・島津義久の3女として1571年4月26日に生まれました。… -
島津義久とは~耳川の戦いの詳細や富隈城と国分城も
島津義久とは 島津義久(しまづ-よしひさ)は、伊作家・相州家の系列となる島津貴久の嫡男として1533年2月9日に伊作城(亀丸城)にて生まれました。幼名は虎寿丸です。 母は継室である入来院重聡の娘・雪窓夫人となりま… -
伊地知重貞・肝付兼演・肝付兼盛・肝付兼篤
加治木城主と言うと肝付氏かと存じますので、このページでは肝付家を中心にご紹介したいと思います。 そもそも加治木城(かじきじょう)は、平安時代頃に、大蔵氏が築城したと考えられる標高100m、比高60mの山城ですが、詳しい… -
島津の英主と呼ばれる島津貴久と衰退した宗家の島津勝久との違いは?~薩摩・内城と清水城も
島津貴久とは 島津貴久(しまづ-たかひさ)は、1514年5月5日、島津忠良(島津日新斎)の嫡男として、田布施亀ヶ城にて生まれました。幼名は虎寿丸です。 母は、母:島津成久の娘で寛庭夫人と呼ばれています。 父は伊… -
島津忠恒と鹿児島城(鶴丸城)~初代薩摩藩主・島津忠恒のその生涯は?
鹿児島城(かごしまじょう)は「鶴丸城」(つるまるじょう)の名でも親しまれている薩摩の平山城です。 関ヶ原の戦いのあと、1601年に島津義弘の子である島津忠恒(島津家久)が築城開始しました。 [adrotate… -
島津家久とは~釣り野伏せにて数多くの敵将を討ち取った島津家の軍師
島津家久とは 島津家久(しまづ-いえひさ)は、薩摩・島津氏の第15代当主である島津貴久の4男として、1547年に生まれました。幼名は又七郎です。 母は側室・本田親康(本田丹後守親安)の娘であるが、父が討死すると母…