カテゴリー:伊達氏
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石川昭光 伊達一門筆頭となった政宗の伯父
伊達家16代目当主、伊達輝宗には多くの兄弟がおり、輝宗以外は他家へ養子としていきました。 養子となり名を変えても伊達一門として主家に忠誠を誓う兄弟もいましたが、中には養子先の事情により対立した人物もいました。 そ… -
伊達政宗の解説 たった5年で114万石にした独眼竜政宗
5歳の時に疱瘡に掛かり、一命は取り留めるものの右目を失った梵天丸。 米沢にて虎哉和尚や片倉景綱に鍛えられた伊達政宗は、1579年、13歳の時に三春城主・田村清顕の娘である愛姫(12歳)を正室に迎え、父・伊達輝宗と共に出… -
虎哉宗乙とは~伊達政宗を教え導いた臨済宗の僧~
虎哉宗乙(こさい-そういつ)は、享禄3年(1530年)に美濃国(岐阜県)で誕生しました。 虎哉(以下より虎哉と記述する)は姓を福地氏、幼名を虎千代と言い、後に博覧強記の名僧となる片鱗を伺わせるエピソードがあります。 … -
伊達政道(伊達小次郎) 独眼竜・伊達政宗と骨肉相食んだ実弟
伊達政道(だて-まさみち)は、伊達輝宗と義姫(保春院)の次男として生まれました。 長兄に伊達政宗、姉妹に千子姫ら2名(3名とも同母)、腹違いの兄弟として秀雄と言う男子が記録されています。 幼名を竺丸(じくまる)、… -
伊達輝宗とは~伊達家の行くすえを政宗に託した名君
伊達輝宗の子育てや方針は、奥州を制覇する伊達政宗と言う非凡な武将を輩出しました。 そんな伊達輝宗の素晴らしき功績などに迫ってみたいと存じます。 伊達輝宗(だて-てるむね)は1544年9月に、桑折西山城・伊達晴宗の次男… -
義姫とは~2度も合戦場に出向いて停戦させるも伊達政宗毒殺事件は捏造か?
義姫(よしひめ)は、山形城主・最上義守の娘として1547年又は1548年に生まれた。 2歳上の兄に最上義光がおり、義姫とは頻繁に書状を交わすなどし仲が良いことが伺える。 1564年、義姫が17歳のとき、敵対していた米… -
葛西晴信と木村吉清・木村清久とは?~奥州仕置後の葛西大崎一揆をわかりやすく
葛西晴信(かさい-はるのぶ)は、第15代当主・葛西晴胤の子として1534年頃に生まれた。初名は葛西信清。 母は、継室である鶴楯城主・黒川景氏の娘。 この葛西氏は、鎌倉時代の豊島氏の一族で、葛西城(東京都葛飾区)が本拠… -
大崎義隆 国宝「大崎八幡宮」~大崎義直から大崎氏滅亡まで
大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)は仙台市にある神社で、社殿(本殿・石の間・拝殿)が国宝に指定されています。 創建年は不明ですが、社伝では坂上田村麻呂が武門の守護神である宇佐神宮を、鎮守府とした胆沢城(岩手県奥… -
仙台城と伊達政宗が眠る瑞鳳殿~青葉城などの訪問記・駐車場情報
仙台城(せんだいじょう)は、仙台の城下町を見下ろす青葉山(標高202m前後)の丘陵群に、伊達政宗が築いた大規模な連郭式平山城です。 比高は80mほどで、五城楼とも呼ばれます。 仙台城(青葉城)は> 青葉山公園… -
伊達実元 伊達成実 伊達家の優秀な武将
伊達実元(だて-さねもと)は、1527年生まれで、母は中条定資の娘?とされます。 最初、縁戚でもあるる越後守護・上杉定実の養子に入る予定となり、上杉定実から一字を拝領し伊達実元と名乗ります。 しかし、1542年6…