彦姫 蘆名家を切り盛りした伊達家の姫


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 彦姫は、米沢城主・伊達晴宗の4女として、1552年?に生まれた。兄に岩城親隆・伊達輝宗などがいる。
 母は、正室・久保姫

 1566年、彦姫の姉・阿南姫の嫁ぎ先で、伊達家も支援していた須賀川城主・二階堂盛義が、子の二階堂平四郎を黒川城主・蘆名盛氏へ人質にでし降伏。
 この時、父・伊達晴宗も蘆名家と和睦する事とし、蘆名盛氏は嫡男・蘆名盛興に嫁に彦姫を要求し、彦姫が嫁いだ。
 実は、8年前の1558年にもこの縁談はあったようだが、当時はまだ蘆名盛興も12歳だったこともあり、実現には至ってなかったと言う。

 蘆名家は伊達家・二階堂家の支援を受けて、1574年には二本松義国・大内義綱を破り、田村清顕を従属させたが、夫・蘆名盛興が29歳の若さで、1574年6月5日に病死する。
 死因は酒の飲み過ぎで、長期に渡り病気だったとしている。

 「れんみつ」と言う娘がいたが、男子はおらず、蘆名盛氏は、二階堂家から人質として預かっていた、二階堂平四郎(15歳)を跡継ぎにする。
 1575年、未亡人となった彦姫(25歳?)は、二階堂平四郎の正室になる形で再婚し、二階堂平四郎は蘆名家の養子となって、蘆名盛隆と称した。

 こうして蘆名家は伊達家・二階堂家とも更に強固な同盟関係となった。

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 その後、蘆名盛氏は上杉景勝を攻めたり、積極的に攻勢に出たが、家臣らは二階堂家出身の蘆名盛隆に反発。
 そんな中、戦国時代に蘆名家の最盛期を築いた蘆名盛氏が、1580年6月17日に死去。享年60。

 実権を掌握した蘆名盛隆は、一時は新潟を支配するなど、上杉景勝を約7年間脅かす存在となる。
 また、1581年には荒井万五郎や金上盛備を上洛させて、織田信長と誼を通じ、上杉景勝に対抗する姿勢を見せた。

 しかし、猪苗代盛国など、相変わらず二階堂家出身の主君を快く思わない家臣も多く、上杉家の直江兼続は富田氏実や新国貞通などの蘆名家の家臣を調略。
 こうして、家臣の統制が取れない蘆名家は、徐々衰退して行った。

 1584年6月に、蘆名盛隆が出羽三山の東光寺に参詣すると、家臣の栗村盛胤・松本行輔らが黒川城を占拠するなど、反乱がおこる。
 蘆名盛隆は鎮圧し、7月には長沼城主・新国貞通を攻撃して降伏させた。
 しかし、1584年10月6日に、黒川城内で家臣の大庭三左衛門に、男色関係のもつれから襲撃される
 縁側に座って鷹に餌をやっていたところを、背後から斬られた蘆名盛隆は、享年23で命を落とした。

 以後、蘆名家は、彦姫の子である亀王丸が、僅か生後1ヶ月にて当主となる。
 彦姫の兄・伊達輝宗が後見をし、蘆名家では彦姫が自ら実質的に蘆名家をまとめると言う、まさに非常事態となった。

 しかし、伊達輝宗もすぐに隠居し、家督を継いだ伊達政宗は、同盟関係を破棄し、1585年5月に蘆名氏を攻撃。
 伊達家出身の彦姫の信頼も低下するなか、亀王丸は1586年に、疱瘡にかかり僅か3歳で死去する。

 この後、蘆名家当主不在のなか、伊達政宗の弟・伊達小次郎と、佐竹義重の次男・佐竹義広の間で争いとなり、蘆名家は増々混迷した。

 1587年、蘆名家は、佐竹義重の次男・佐竹義広を、彦姫と蘆名盛興の長女・小杉山御台の婿とし迎える選択をする。
 しかし、蘆名義広はまだ13歳であり、とうてい蘆名家の家臣団を掌握することはできなかった。

 1588年、彦姫も30代の若さで死去し、その翌年には伊達政宗によって黒川城は落城し、蘆名家は滅亡するに至った。

 

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