カテゴリー:龍造寺氏
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後藤貴明とは~正当性を主張し戦国時代の荒波を乗り切った恒安館主
後藤貴明(ごとう-たかあき)は、大村館主・大村純前の長男として1534年に生まれました。通称は後藤又八郎です。 母は名前不詳の側室です。 なお、母は側室と言うよりは身分の低い女性であったようで、後藤貴明は長男… -
彦鶴姫・藤の方・陽泰院~内助の功だけでなく国母様と慕われた鍋島直茂の正室
石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。 最初は彦鶴(ひこづる)と呼ばれており、のち藤(ふじ)と名乗り、藤の方・北の方・御簾中など色々な呼び方があります。 … -
龍造寺隆信とは~5分でわかる龍造寺隆信のスゴイところ
龍造寺隆信(りゅうぞうじ-たかのぶ)は、龍造寺周家の長男として1529年2月15日、肥前・佐嘉水ヶ江城(佐賀水ヶ江城)の東館天神屋敷で生まれた。 母は慶誾尼(龍造寺胤和の娘)。 下記が佐賀城近くにある龍造寺隆… -
慶誾尼(けいぎんに)と龍造寺周家~龍造寺家兼から龍造寺家のゴダゴダ騒動
慶誾尼(けいぎんに)は、慶ぎん尼とも書きますが、1509年に生まれた村中龍造寺家の当主・龍造寺胤和(りゅうぞうじ たねかず)の娘(長女)となります。 慶誾尼は龍造寺周家の正室となると、1529年に肥前・佐嘉水ヶ江城の東… -
鍋島直茂と鍋島勝茂とは~鍋島化け猫騒動と龍造寺の存亡
鍋島直茂(なべしま-なおしげ)は、肥前・佐賀の在地豪族である鍋島清房の次男として1538年3月13日に生まれた。 幼名は彦法師。通称は孫四郎・左衛門大夫。 母は龍造寺家純の娘・華渓。 鍋島家は、少弐政資の弟… -
龍造寺政家と龍造寺高房~鍋島化け猫騒動と佐賀城訪問記
龍造寺政家は、1556年、肥前の戦国大名・龍造寺隆信(村中城主、佐賀城主)の嫡男として生まれた。 龍造寺家は1185年に龍造寺村の地頭職に任じられて、村中城(佐賀城)を築いたのが発祥と考えられている。(龍造寺村の起…