カテゴリー:徳川氏
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榊原康政の解説 武勇と知勇を馳せた徳川家の重臣
榊原康政(さかきばらやすまさ)は1548年に三河国上野郷(現在の愛知県豊田市上郷町)にて誕生。通称は榊原小平太。 父は榊原長政で、松平家の譜代家臣・酒井忠尚に仕える陪臣であり、その次男である。幼名は於亀(亀丸とも?) … -
松平清康 25歳で家臣に殺害されるも短期間で三河を平定した徳川家康の祖父
松平清康(まつだいらきよやす)は、安祥松平家の第7代当主として三河に勢力基盤を築いた戦国時代の武将です。 徳川家康の祖父であり、松平氏が「徳川」になるきっかけを作った人物でもあります。 12歳で家督を継ぎ、わずか10… -
小牧・長久手の戦いの解説 池田恒興~長久手古戦場
小牧・長久手の戦い(こまき-ながくてのたたかい)を、討死した池田恒興の視点から紹介したい。 1584年、羽柴秀吉は、織田信雄に味方する徳川家康が浜松にいる留守を狙って三河への侵攻を決意。 羽柴秀吉の甥・三好秀次に… -
松平家忠の解説 家忠日記の著者【伏見城で討死】
松平家忠(まつだいら-いえただ)は、戦国時代の武将であり深溝松平氏4代目当主で、父は松平伊忠(まつだいら-これただ)。 母は三河の国衆(豪族)である鵜殿長持の娘。 徳川家康の前姓で有名な松平氏には五井・竹谷(たけのや… -
松平信光とは 徳川天下統一の礎を作った英雄
松平信光(まつだいら-のぶみつ/しんこう)は松平宗家3代目当主であり、松平家が三河一帯に勢力を伸ばすきっかけを作った人物です。 松平信光の父は2代目当主・松平泰親(まつだいら-やすちか)と言われていますが、初代の松平親… -
本多富正 江戸時代初期における福井藩の家老
本多富正(ほんだ-とみまさ)は元亀3年(1572年)に三河で生まれた戦国武将。 父は徳川(松平)家の家臣本多孫左衛門重富(本多信富とも)と伝えられる。 後の福井藩主で徳川家康次男、結城秀康の家老として知られる。 通… -
大久保忠世の解説 無骨一辺倒である蟹江七本槍の徳川重臣
大久保忠世(おおくぼ-ただよ)は、松平清康の家臣・大久保忠員の嫡男として、1532年に生まれた。七郎右衛門と称している。 母は三条西公条の娘。 三河国額田郡上和田(愛知県岡崎市)を知行した大久保家は本来、父・大久… -
徳川家康の解説 武将情報データ 中高生でもわかりやすく
※徳川家康 古い記事 移転 他の記事も移転 これ1本にする 内部リンク修正 外部リンクも修正するけどあまりリンクさせない 徳川家康(とくがわ-いえやす)は、戦国時代の武将・戦国大名です。 徳川家康の武将能力デー… -
榊原照久 余が亡き後もずっと仕えよ 神君に最も愛された男
榊原照久(さかきばら-てるひさ)(初名は清久)は、天正12年(1584年)に榊原清政の子として生まれた、江戸時代前期の武将・神職である。 照久は、目立った武功などを挙げた記録は見当たらないが、晩年の徳川家康の側近くで忠… -
大久保忠隣の解説 晩年には不遇な扱いを受けるも最後まで忠義を貫いた猛将
大久保忠隣(おおくぼただちか)は、松平家の重臣・大久保忠世の長男として三河・額田郡上和田(愛知県岡崎市)にて、1553年に生まれた。 母は近藤幸正の娘。 1560年、桶狭間の戦いにて今川義元が織田信長に討たれると…