林羅山をわかりやすく1分で簡潔に解説~徳川将軍4代に仕え江戸幕府の制度や儀礼など定めた儒学者

林羅山

林羅山とは

林羅山(はやし らざん) は江戸時代初期の儒学者(朱子学者)で、江戸幕府において「武家諸法度」「旗本諸法度」など起草した学者。
2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では、芸人で俳優「笑い飯」の哲夫さんが林羅山の役を演じられる。

生まれは京都の京四条新町で1583年に誕生した。
父は加賀の郷士末裔で浪人の林信時とも。
母は田中氏の娘とも考えられる。


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幼少のときから伯父・吉勝(米穀商)に養子に出されたが秀才であったとされ、13歳で建仁寺大統庵の古澗慈稽から仏教を学び、14歳で建仁寺・十如院の英甫永雄(雄長老)に師事。
本を読むのに「5行」ずつ読んで覚えていったと言う。
ただし、出家して僧侶になることは拒否し、慶長2年(1597年)実家に戻っている。

その後、朱子学を独学で学ぶと、1604年に藤原惺窩(ふじわらせいか)と論争したのち門下に加わり、儒学(朱子学)を学んだ。
藤原惺窩は豊臣秀吉・徳川家康に儒学を講じており、徳川家康から仕官を要請されていた。
その代わりに慶長10年(1605年)、林羅山が推挙されて徳川家康に京都・二条城にて謁見。
林羅山の才が認められて、23歳の若さで徳川家康の政策ブレーンのひとりになった。
外交文書や諸法度の起草、儀式の調査制定などに従事している。
例えばだが有馬温泉草津温泉、下呂温泉を日本三大温泉に挙げたり、武家諸法度を起草するなどの実績がある。

1630年(寛永7年)には、江戸幕府から与えられた江戸上野・忍岡の地に塾を開き、幕府の最高学府となる昌平黌(昌平坂学問所)の基礎をつくった。

徳川家の徳川家康・徳川秀忠・徳川家光・徳川家綱の将軍4代に仕えた林羅山は、初期の江戸幕府の土台作りに大きく関わり、様々な制度や儀礼などのルールを定めた。
晩年は幕府より910石を給っている。


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1657年、明暦の大火にて邸宅・書庫が焼失。
その4日後に林羅山は死去した。享年75。
墓は東京都新宿区市谷山伏町。

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