カテゴリー:大友氏
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大内義長の解説 傀儡と言われつつも潔く散った悲運の将
大内義長(おおうち-よしなが)は、豊後の大内義鑑の次男として戦国時代に生まれます。 母は大内義隆の姉で幼名は塩乙丸、通称は八郎。 兄には大友宗麟、弟には塩市丸がいます。 戦国期、大友氏と大内氏は北九州を巡り対立… -
大友宗麟(大友義鎮)の解説 国崩し・豊後の王
大友宗麟は、豊後国(大分県)の府内にて、1530年1月3日に誕生。 父は豊後大友家第20代当主・大友義鑑。母は大内義興の娘。 幼名は塩法師丸。別号に宗滴、三非斎など。 傅役は重臣・入田親誠(津賀牟礼城城主)だが、の… -
大友義統の解説 逃亡・改易・失脚・幽閉となった稀代の凡将?
大友義統(おおともよしむね)は、豊後の戦国大名である第21代当主・大友義鎮(のちの大友宗麟)の長男として1558年に生まれた。 母は、奈多夫人(奈多鑑基の娘)。 幼名は長寿丸。号は宗厳。将軍・足利義昭の偏諱を受け義統… -
田原親宏 田原親貫 戦国武将解説
田原親宏(たわら-ちかひろ)は戦国時代の武将で、田原親述と、佐伯惟勝の娘の間に生まれました。 田原家は大友家の庶家でも、最も有力な大友一族です。 そのため、大友義鑑・大友宗麟(大友義鎮)からは警戒され豊後を追放され、… -
木付鎮直と木付統直とは ~杵築城の戦い・石垣原の戦い【杵築城訪問記】
杵築城(きつきじょう)は木付城、勝山城、臥牛城とも呼ばれる連郭式平山城で、八坂川河口の台山(だいやま)に築かれ、3方を川と海に囲まれた天然の要害になっています。 最初の築城は、1393年の木付頼直とされ、木付氏が代々の… -
吉岡妙林尼 見事な采配と智略で鶴崎城を奪還した女性【乙津川の戦い】
吉岡妙林尼(よしおか-みょうりんに)の生い立ちは良くわかっていませんが、父は林左京亮、又は丹生正敏(丹生小次郎正敏)ともされます。 本名はもちろん生没年も不明です。 この吉岡妙林尼が有名な理由としては、女性でありなが… -
高橋紹運と立花直次~岩屋城の戦い・岩屋城の訪問記
高橋紹運(たかはし-じょううん)は吉弘鑑理の次男で、1548年に豊前・筧城にて生まれた。 母は大友義鑑の娘か?(諸説あり) 父・吉弘鑑理は智勇に優れた武将で、大友義鑑の一門として活躍し、大友義鑑の子・大友義鎮(大友宗… -
蒲池鑑盛 蒲池鎮漣 柳川城主として忠義を貫くも
蒲池鑑盛(かまち-あきもり)は柳川城主・蒲池鑑久の子として1520年に生まれた。 母は不詳。 蒲池氏は筑後屈指の名族で、鎌倉時代以来、蒲池城を本拠としていた。 1500年代に入ると蒲池治久が柳川城を支城として築城す… -
立花道雪とは~戸次鑑連が雷神と呼ばれる由縁とその魅力
立花道雪(たちばな-どうせつ)は、大友一門となる鎧岳城主・戸次親家の次男として1513年3月17日に生まれた。 母は由布惟常の娘・正光院。 近年になって生誕地が柳ヶ台、大分県民の森「四辻峠付近」と判明している。 … -
立花誾千代と立花宗茂の2人の夫婦関係とスゴイところ
立花誾千代とは 立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は戸次鑑連(立花道雪)の一人娘として筑後(久留米市)の問本城(といもとじょう)にて1569年8月13日に誕生しました。 母は継室の仁志姫(にし姫・西姫・宝樹院)と言…