- Home
- 城・館・神社・寺
カテゴリー:城・館・神社・寺
-
源頼朝の生涯【鎌倉幕府・征夷大将軍】旧相模川橋脚も
源頼朝とは 源頼朝(みなもと-よりとも)は、源氏の頭領である、源義朝の3男として、1147年4月8日に尾張の熱田神宮西側にあった神宮大宮司の藤原季範別邸(現在のの誓願寺)にて生まれた。 母は正室の由良御前(藤原季… -
石橋山古戦場(石橋山の戦い)【源頼朝挙兵】参加武将など合戦経緯と訪問方法(駐車場)
石橋山の戦い 鎌倉幕府を開いた事で知られる源頼朝の父である源義朝は、源氏の頭領として平家に挑みますが、1159年平治の乱で敗れて殺害され、勝利した平清盛は、三男であった源頼朝を伊豆に流罪とします。 そして、流刑の… -
筒井順慶の解説「筒井城の戦い」筒井順昭と「元の木阿弥」や「洞ヶ峠」
筒井順慶(つつい-じゅんけい)は、筒井城主・筒井順昭の子として1549年3月3日に生まれた。 母は山田道安の娘・大方殿(山田道安の妹とも)。 大和国(奈良)は、武家が守護(国主)を務めておらず、軍事力も強大な興福寺(… -
山名氏豊の解説 山名氏豊館跡 鳥取県倉吉市に残る古刹・大岳院 駒姫八幡
山名氏豊(やまな-うじとよ)は守護大名となる伯耆守護・山名氏とされますが、父母は不詳で、誕生年も不明です。 山名氏はもともと上野国の新田一族で、足利尊氏に従って活躍すると、伯耆の守護となっていました。 最盛期には… -
最後の北条家当主「北条氏直の墓」なぜココに?~広島「海蔵寺」を訪ねて
広島・海蔵寺は応永年間(1394年~1427年)に中国の僧・慈眼禅師が創建した古刹です。 安芸・草津城主となった大内家の家臣・羽仁家の菩提寺、そして、毛利家時代には草津城主となった児玉家の菩提寺となりました。 特に1… -
曽我兄弟の仇討ち 分かりやすい経緯と解説 工藤祐経と伊東祐親の遺恨
工藤祐経(くどう-すけつね)は、伊豆の伊東荘の領主・工藤祐継(工藤滝口祐継)の嫡男として生まれたが、父が幼い頃に亡くなると、その後見人として叔父・伊東祐親(いとう-すけちか)(河津祐親)が面倒を見る。 しかし、そもそも… -
神奈川県の城跡一覧 武将関連お城・城郭・寺院・古戦場など一覧リスト
神奈川県にある城郭・館跡などの一覧のリストです。 下記に明記している城跡はすべて訪問することを只今目指しております。 一種のライフワークでございます。 順次、訪問先の紹介記事をリンクさせて参る所存で、2018年の完… -
相良頼房 深水宗方 犬童頼兄 人吉城の相良家物語
人吉の戦国武将である相良頼房、深水宗方、犬童頼兄を中心にご紹介します。 相良頼房(さがら-よりふさ)は、人吉城主・相良義陽の次男として1574年5月4日に生まれました。幼名は長寿丸。 母は豊永長英の娘・了信尼です。… -
大友義統の解説 逃亡・改易・失脚・幽閉となった稀代の凡将?
大友義統(おおともよしむね)は、豊後の戦国大名である第21代当主・大友義鎮(のちの大友宗麟)の長男として1558年に生まれた。 母は、奈多夫人(奈多鑑基の娘)。 幼名は長寿丸。号は宗厳。将軍・足利義昭の偏諱を受け義統… -
浅井長政の解説「詳細版」初陣で3倍の敵兵力に勝利した勇将
浅井長政(あざい-ながまさ)は、戦国時代の1545年、小谷城主・浅井久政の嫡男として、観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町)で生まれた。幼名は猿夜叉丸。 母は正室・小野殿(井口経元の娘・阿古御料人)で、18歳で浅井…