カテゴリー:上杉氏
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蔵田五郎左衛門の解説 上杉謙信を経済面と外交面で支えた越後商人
越後国(新潟県)を本拠地とする上杉謙信(旧名:長尾景虎 1530~1578)は誰もが知る戦国期を代表する群雄の1人でありますが、戦国期~現代という永い時を経ても謙信が名将として誉れ高い所以は、やはり合戦面で殆ど負けを知… -
岩槻城主・太田資正と太田氏資と岩槻城訪問記~岩槻城の戦い
太田資正(おおたすけまさ)、太田三楽、太田三楽斉、太田三楽斎、太田三楽斉道譽 1522年~1591年 岩槻城の太田氏 太田資正は名将・太田道灌の曾孫にあたり、弱小勢力ながらも知勇兼備の将として名を馳せ、戦… -
樋口与七・大国実頼~直江兼続の弟
樋口与七・大国実頼とは 樋口与七(ひぐち-よしち)は上杉謙信の家臣・樋口兼豊の次男として、戦国時代の1562年に誕生。 兄・樋口与六(のちの直江兼続)とは約2歳の年の差である。 樋口与七は与六(のちの直江兼続)… -
家臣の造反に悩まされた名将・上杉謙信から見る当時の大名と家臣団の関係性
筆者は上杉謙信(1530~1578)という戦国武将が好きであります。織田信長、豊臣秀吉・秀長兄弟、徳川家康、武田信玄・信繫兄弟、北条氏康、毛利元就、小早川隆景、黒田如水、真田信幸、藤堂高虎、島津義久・義弘兄弟といった戦… -
本庄繁長 越後に鬼神ありと恐れられた勇将
本庄繁長(ほんじょう-しげなが)は、本庄房長(本庄大和守房長)の子として、1539年12月4日(旧暦)に生まれました。 母の名は不明ですが、下記のような伝承があります。 下渡島城の支配を巡って対立した、父・本庄房… -
北条高広 2度も上杉謙信に背くも2度復帰?
北条高広とは 北条高広(きたじょう-たかひろ)は、1517年?に、北条高定の子として生まれました。 最初にハッキリさせて置きますが、鎌倉時代の北条氏や、小田原城の大名・北条家とは関係ない、越後・北条家(きたじょう… -
安田能元 和歌も嗜む文武両道の上杉家奉行
安田能元(やすだ-よしもと)に関しては、江戸時代まで生きた武将のため、少しはよくわかっています。 1557年に、越後・安田城にて生まれて、幼少の頃より上杉謙信の小姓となりました。 兄が死去したあと、1580年9月… -
上条政繁 出自に関して謎が多い上杉家の重臣
上条政繁(じょうじょう-まさしげ)は、上杉定実の子として1553年?(1545年?)に生まれました。 この上杉定実は、越後国守護で越後上杉家8代当主の上杉定実ではなく、琵琶島城・八条上杉家の琵琶島氏である上杉定実のよう… -
上杉景勝~偉大な先代の影~ 【戦国人物伝11】
上杉謙信という戦国ら時代を代表する偉大な人物が先代だったら、2代目は相当辛い立場に立たされるでしょう。ただでさえ2代目という立ち位置は、先代から仕える家臣に先代と比べられがちです。 先代の功績が偉大であればあるほど… -
上杉謙信~軍神の実像~【戦国人物伝10】
戦国史好きなら誰もが知っている武将といえばあなたは誰を思い浮かべますか? 数多くの戦国武将たちの中でも上位に入ってくるのが越後の戦国大名、上杉謙信ではないでしょうか。 なぜ人気があるのかというと、武田信玄との川中島の…