浪人の解説~RONIN (赤穂浪士など)と呼ばれた武士の実態を1分でわかりやすく

浪人とは

現代日本において「浪人」RONIN(ろうにん)とは、入学試験に不合格となり、次の試験に備えている人や状態の事や、就職に失敗して次に備えている就職浪人などと言うが、本来の浪人とは、本籍を離れて住まいを定めずに、さまよい歩く人が、浪人の由来である。
武士の場合、事情により主家を失うなどして、仕官先を探して他国を流浪している者を浪人と呼んでいた。流浪人とも言う。
武士が在地領主であった鎌倉時代・室町時代においては所領と職を失い浮浪する者たちを指した。

江戸時代になり戦火が収まると、改易などにより各地を流浪する牢人が急増した。もちろん、本人が罪を犯したり、役目で落度があり責任を取る形で仕官先を辞めて浪人になった者もいる。

黒田家を出奔した後藤又兵衛(後藤基次)は「奉公構」を出されて再仕官の道を断たれ、大坂の冬の陣で豊臣方に参加し討死している。
再仕官できない牢人が激増し、大坂の役が起きたときには、豊臣方に10万人の牢人が寄り集まったとされている。

3代将軍・徳川家光の晩年には、浪人は50万人にも達したとされ、仕官先はなかなか無く、大部分は浪人のまま困窮の中で暮らしていた。

江戸時代の浪人は士籍(武士としての身分)は失っていたが、苗字帯刀は許されており、武士としては認知されていた。

1702年の赤穂浪士・四十七士(47士)の討ち入りは、余りにも有名である。


スポンサーリンク


赤穂浪士【5分でわかる忠臣蔵の物語と忠義】泉岳寺と赤穂浪士の墓

コメント

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA