カテゴリー:細川氏
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小笠原秀清の解説 ガラシャの殉教を助けた細川家の武士
少斎の異名で名高い小笠原秀清(おがさわら‐ひできよ)は、足利将軍家に仕える奉公衆だった小笠原稙盛の息子として生まれました。 稙盛の拝命していた奉公衆は将軍家直属の軍人と言うべき存在であり、つまり決して低い身分ではなかっ… -
細川昭元の解説 逃亡と人質生活 戦国を生き抜いた名門当主
細川昭元(ほそかわ-あきもと)は、細川吉兆家当主で室町幕府第34代管領の細川晴元と近江国国主・六角定頼の娘との間に天文17年(1548年)に生まれました。 幼名を聡明丸といいます。 昭元が生まれた頃の京都は、父・晴元… -
オルガンティノの解説 日本人をこよなく愛したイタリア人宣教師
グネッキ・ソルディ・オルガンティノ(ニェッキ・ソルド・オルガンティーノ)は、日本の戦国時代にあたる、1533年(1530年説あり)に北イタリアのカストで生まれました。 1556年、イタリアのフェラーラで20代の若さでイ… -
細川忠興 文武両道の名将として戦国の世を・・
細川忠興(ほそかわ-ただおき)は、戦国時代の1563年11月13日に京都で誕生。 父は、室町幕府13代将軍・足利義輝に仕える細川藤孝(細川幽斎)で、長男として生まれた。 母は、正室・沼田麝香(ぬまたじゃこう、若狭熊川… -
細川頼之とは 室町三代の将軍を支え続けた忠臣
細川頼之(ほそかわ-よりゆき)は元徳元年(1329年)、三川国額田郡細川郷(現・愛知県岡崎市細川町)に、細川頼春と黒沢禅尼の息子として生まれ、幼名を弥九郎と言いました。 この頼之は名門として名高い細川の生まれであるにも… -
松井康之と本能寺の変 細川家重臣
2020年「麒麟くる」明智光秀公を主人公とした大河ドラマが決定し、前回は細川ガラシャの義理の妹、細川伊也姫について綴らせて頂きましたが、今回も細川家と本能寺の変に纏わる人物について、わたくし個人の見解の元、綴らせて頂きた… -
伊也姫のお噺~本能寺の変により動かされた細川忠興の妹の運命
2020年「麒麟くる」明智光秀公を主人公とした大河ドラマが決定致しました! 長年、明智家・細川家の大河ドラマ誘致キャラバン隊の細川ガラシャとして、長岡京市や福知山市を中心に署名活動を行ってきたので、大河ドラマが決定… -
松井康之は丹波水軍の優れた大将だった~細川家の重臣
松井康之(まつい-やすゆき)は、京都郊外の松井城主である松井正之(松井山城守正之)の次男として、1550年11月1日に生まれました。 母は荒川澄宣(荒川治部大輔澄宣)の娘です。 松井氏は松井宗次が足利尊氏に仕えてから… -
木付鎮直と木付統直とは ~杵築城の戦い・石垣原の戦い【杵築城訪問記】
杵築城(きつきじょう)は木付城、勝山城、臥牛城とも呼ばれる連郭式平山城で、八坂川河口の台山(だいやま)に築かれ、3方を川と海に囲まれた天然の要害になっています。 最初の築城は、1393年の木付頼直とされ、木付氏が代々の… -
細川幽斎(細川藤孝)の解説 断固たる態度を取った戦国大名
細川藤孝(細川幽斎)は、1534年4月22日、三淵晴員の次男として京都東山にて誕生した。 この父・三淵晴員は、和泉守護である細川元有の子で、足利将軍側近の三淵晴恒の養子となっていた。 細川藤孝(細川幽斎)の生母は、三…