カテゴリー:織田氏
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お鍋の方(興雲院) 正室の代わりに織田信長の奥向きを取り仕切った側室
興雲院(きょううんいん)・通称:お鍋の方(おなべのかた)は、織田信長の側室の一人です。 戦国時代の天文14年(1545年)、近江野洲郡の土豪、高畑源十郎の娘として生まれたと言われていますが定かではありません。 安土城… -
織田頼長 織田信長の甥でかぶき者
戦国三英傑の一人である織田信長が派手好きだったことはご存知かと思います。 そして、織田家には信長同様に派手好きだった人物がいました。 その人物は信長の甥、織田頼長(おだ-よりなが)です。 今回はかぶき手の第一と評さ… -
中山勝時 ~徳川家康の叔父で『ごんぎつね』のお殿様~
中山勝時(なかやま-かつとき)は、戦国時代の武将で、尾張の大名である水野家の家臣として仕えていました。 愛知県は数多くの戦国武将を輩出していますが、有名な童話にも登場するのにも関わらず、なぜか知名度は低い武将、中山勝時… -
津田信澄 ~信長に重用されながら本能寺の変で謀反人に~
津田信澄(つだ-のぶずみ)は、織田信澄(おだ-のぶずみ)とも言う戦国時代の武将で、織田信勝(織田信行)の嫡男となります。 父は織田信長の弟・織田信行と言う武将ですが、歴史上では信勝などの名前もあり混同しやすいため、ここ… -
奥村永福 (奥村家福) 前田家を一度出奔するも重臣として支える
奥村永福(おくむら-ながとみ)は、戦国時代の武将で、1541年に尾張で生まれました。 奥村氏は、荒子城主の前田氏の譜代家臣で、成長した奥村永福(奥村家福)は、前田利春(前田利昌)や、その嫡男・前田利久に仕えています。 … -
坂井政尚 姉川の合戦で先方を務めた織田家の勇将
坂井政尚(さかい-まさひさ)は、織田信長の美濃攻略時に降り、 元亀初年まで活躍する織田家の武将です。 信長の上洛戦から頭角を現すようになり、 討ち死にするまでの3年間、主要な戦いにはほぼ参戦し、 近江堅田での… -
村井貞勝 織田家随一の能吏も本能寺で散った「都の提督」
村井貞勝(むらい-さだかつ)は、戦国時代に織田信長が京都を統治した際 京都所司代として、朝廷との交渉・行政・治安維持・建築物の造営など 京都統治のすべてを統括した能吏です。 当時の京都を領有することの目的のひと… -
佐々政次 (佐々隼人正) 佐々清蔵 佐々家の嫡流
佐々政次(さっさ-まさつぐ)は、1522年頃に生まれたと考えられる戦国時代の武将です。通称は佐々隼人正です。 父は佐々成宗(佐々盛政)ともされ、弟に佐々政次、佐々孫介、佐々成政、佐々長穐?、佐々信宗などがあります。 … -
織田信忠 (奇妙丸) 偉大な父に認められるも本能寺の変に散った26歳の命
織田信忠(おだ-のぶただ)は、織田信長の嫡男。母は生駒吉乃とする説もあるが、異説もある。幼名は奇妙丸。 織田信長の跡取りとして、合戦でも総大将として指揮を取る機会も増え、順調に成長し、武田攻めでは武田勝頼を早期に滅ぼす… -
中条家忠 (中条将監) 古くから信長に仕えた家臣
中条家忠(ちゅうじょう-いえただ)は、戦国時代の武将で、生年は不詳ですが、尾張の戦国大名・織田信長に仕えていました。 中条将監とも呼ばれますが、出自については諸説あり不明といったところです。 居城は三河・八草城や、す…