前田玄以~京の街や清洲も守り抜いた三法師の守役





前田玄以(まえだ-げんい)は、前田基光の子として美濃にて1539年に生まれた。

若い頃には比叡山の僧であったとも言われており、禅僧として尾張小松原寺の住職も務めていたとされるが、確か事は不明である。
名は宗向で、初名は前田孫十郎基勝と称した。号は半夢斎や策勝軒などがある。

やがて織田信長に見いだされると僧侶から還俗して家臣に加わると、織田信忠を補佐した。
前田玄以の正室は村井貞勝の娘で、1576年に嫡男・前田秀以が生れているので、これより以前には織田家の家臣に列したと推定できる。

1582年、明智光秀による本能寺の変の際には、織田信忠と共に二条御所(二条城)に詰めていたが、織田信忠の命を受けて、嫡男・三法師(織田秀信)を連れ京都から脱出することに成功。
美濃・岐阜城を経由して、尾張・清洲城へと逃れた。



1583年から亡き織田信長の次男・織田信雄に仕えると、京都の公家や寺社とも繋がりがあったことから、前田玄以(45歳)は京都所司代に任じられている。

1584年、羽柴秀吉が京都も手中に収めると、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣となり、引き続き京都所司代として京都の政務を取り仕切った。
そして、1588年には後陽成天皇聚楽第行幸の際の奉行を務めた。

また洛中にてキリシタンを弾圧するも、後年にはキリスト教に理解を示し、キリシタンを匿うなど保護もしている。
また、京都所司代の在任中の前田玄以は、だれ1人と京の人々を処刑しておらず、その問題解決法は豊臣秀吉も感心したと言う。

1595年、一時、豊後・木付城(杵築城)を与えられたようだが、すぐに前田玄以(57歳)は5万石にて丹波・亀山城主となった。

1598年、豊臣政権にて五奉行制が開始されると、浅野長政石田三成増田長盛長束正家らと五奉行の1人となり、前田玄以は主に宗教を担当した。

会津若松城主・蒲生氏郷が病に倒れ、京にて療養生活を送った際には、豊臣秀吉の命を受けて9名の医師にて診療させ、前田玄以が診療経過を逐一報告した。

1600年、関ヶ原の戦いの際には、徳川家康の会津征伐に反対し、石田三成が挙兵すると西軍に加担した。
徳川家康討伐の弾劾状にも署名する一方で、石田三成が挙兵したと、徳川家康に知らせるなど、内通する姿勢を見せた。
そのため、出陣も拒み、豊臣秀頼を後見するとして大坂城に残っており、最後には病気を理由にしている。
なお、前田玄以の3男・前田茂勝は、西軍として丹後田辺城細川幽斎(細川藤孝)を攻め、降伏を勧告する使者にもなっている。

それらを考慮すると改易されてもおかしくなかったが、前田玄以は丹波・亀山城の本領安堵となり、亀山藩の初代藩主となった。
同様に大阪城に残りつつ徳川家に情報を流していた増田長盛は高野山送りとなっているため、前田玄以の朝廷との繋がりを徳川家康は重んじたものと推測できる。

しかし、前田玄以は1602年5月20日に死去した。享年63。

長男・前田秀以は1601年に早世していた為、3男・前田茂勝が家督を継いだが、関ヶ原での行動などが考慮されて、丹波八上に移封され八上藩主5万石と減封された。
ちなみに、その後、前田茂勝は隠岐に流されて死去している。

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