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カテゴリー:徳川氏
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高木清秀とは 水野信元に従い武勇を馳せた徳川十六神将
高木清秀(たかぎ-きよひで)は、戦国時代の武将で1526年に三河で生まれました。 通称は高城善次郎、高木主水助。 父は高木宣光で、母は酒井正信の娘となり、弟に高木清方がいます。 三河・高木氏は三河国紺碧海郡高木から… -
源応尼(げんおうに) 華陽院(けよういん) 徳川家康の祖母
華陽院(けよういん)は、「於富の方」あるいは「於満の方」、源応尼(げんおうに)とも言う1492年生まれの戦国時代の女性です。 出自は下記の通り、諸説あります。 江州佐々木氏流である尾張の青木加賀守弌宗の娘 尾張… -
姉川の戦い 遠藤直経 信長暗殺を進言した知勇兼備の謀将【姉川合戦場探訪】
遠藤直経(えんどう-なおつね)は、近江の須川城主・遠藤主膳の子として1531年に生まれました。通称は遠藤喜右衛門です。 遠藤家の先祖は近江に所領を得た鎌倉武士です。 まだ浅井家が京極家の被官に過ぎなかった頃からの、浅… -
損し続けて最後に天下をとった【徳川家康】
戦国期最後の勝利者となり、約260年という長きに渡る武家政権(江戸幕府)を築いた徳川家康(1542~1616)が、日本最大の平野部(つまり発展有望な地)を有し、鎌倉期以来、精強な兵馬が産出される関東地方に拠り、関ヶ原合… -
江戸の開発には都市モデルがあった 徳川家康の城下町整備
日本の首都にして、世界有数の大都市である東京。近年では2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの舞台として、(最近はマラソン開催地問題でも揺れていましたが)、都市再開発によって更に進化してゆくことで、世界中… -
夏目吉信 徳川家康の命を救った忠臣
若き頃の徳川家康を苦しめた戦「三方ヶ原の戦い」と夏目吉信・・・。 この戦いで家康は武田信玄に完膚なきまで攻められ、死を覚悟したほどと言われています。 それでも家康は家臣たちが命を懸けてまで逃がしてくれたおかげで、撤退… -
仙石秀久の解説 武勇にも優れた情に篤い武将
仙石秀久(せんごく-ひでひさ)は、斎藤道三に仕えている美濃の土豪・仙石久盛(仙石治兵衛久盛)の4男として、1552年1月26日に加茂郡黒岩(加茂郡坂祝町)にて生まれた。 母は不詳。 仙石秀久は4男であったため、他… -
間宮善十郎 間宮康俊 北条家臣と間宮林蔵・杉田玄白の意外な関係
戦国時代の1569年、三増峠の戦いにて討死したとされる、北条家の家臣・間宮善十郎の墓と伝えられる塚が、合戦跡にあり、その場所からは1998年に渡来銭や大腿部に傷がある壮年男性の遺骨も発掘されています。 かなりマイナーな… -
結城秀康とは 文武両道の福井城主も若すぎる死を遂げる
結城秀康(ゆうき-ひでやす)は、徳川家康の次男として浜松の有富見村にある中村正吉の屋敷にて1574年2月8日に生まれました。 幼名は於義丸(おぎまる)で、母は永見吉英の娘・於万の方(長勝院)です。 於万の方は、徳川家… -
本多忠勝 猛将伝 徳川四天王
「戦国最強は誰か」戦国時代好きが四人、五人と集まれば、必ずと言っても良いほどこの話題が持ち上がるのではないだろうか。 数多いる強者の中で、著者には強く推したい人物が一人居る。 徳川家康に仕え、生涯57回戦場に赴き、か…