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カテゴリー:徳川氏
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橋本庄三郎(後藤庄三郎) 江戸時代の小判を最初に作った男
橋本庄三郎(はしもと-しょうざぶろう)は、のちに後藤庄三郎(ごとう-しょうざぶろう)と改名する、江戸時代初期における金細工の名門・後藤家の当主となります。 代々「後藤庄三郎」と称しますが、ここでは初代とされる後藤庄三郎… -
大久保藤五郎(大久保主水)と伊可 江戸の街に水道をひいた菓子司
大久保藤五郎(おおくぼ-とうごろう)は、正式な名前を大久保忠行(ただゆき)、通称を大久保主水(もんと)と言う戦国時代末期の武将です。 父は宇津忠茂で、大久保藤五郎は5男として生まれました。 兄に徳川家康が若いころから… -
堀秀治 父のように優秀ではなかったが家臣に恵まれた大名(堀直政も)
堀秀治(ほり-ひではる)は、堀秀政の嫡男として1576年に生まれました。 母は喜多島良滋の娘となります。 父・堀秀政は「名人・久太郎」と呼ばれた文武両道の武将で、織田信長の小姓・側近を努め、羽柴秀吉の軍監も担って… -
水野勝成 出奔すること8回の戦国自由人から一転して名君へ
実に主君(仕官先)は8名に渡り最後には名君と慕われた猛将で戦国自由人・水野勝成(みずの-かつなり)は、1564年8月15日、鷲塚城主・水野忠重の長男として生まれました。 幼名は国松で、母は諸説ありますが、本願寺光佐の妹… -
松平忠輝とは~家康に忌み嫌われた徳川家の異端児~
松平忠輝(まつだいら-ただてる)は、徳川家康と側室である茶阿局(さあのつぼね)の間に産まれた六男です。 天正20年(1592年)1月4日、江戸城で生まれた忠輝は、その生年が辰年であったため、幼名は辰千代(たつちよ)と名… -
徳川綱吉とは 3分でわかる5代将軍とお犬様の関係「生類憐みの令」
徳川綱吉とは 徳川綱吉(とくがわ-つなよし)は、江戸幕府の5代将軍となりますが、その出自や業績などを分かりやすく簡単に明記したいと思います。 徳川綱吉は3代将軍・徳川家光の4男として1646年1月8日に江戸城で生… -
朝比奈泰勝~今川家没落後も今川氏真に仕え武田重臣を討ち取った謎の武将
朝比奈泰勝(あさひな-やすかつ)は1547年(天文16年)に遠江で生まれた。 朝比奈弥太郎泰勝は今川家が滅亡した際の掛川城主・朝比奈泰朝と同じ朝比奈一族ですが、2世代前に分家となった朝比奈知明の系統で父は朝比奈泰知… -
徳川家光とは 3分でわかる280年続いた徳川幕府の基礎固めと3代将軍「徳川家光」の基本政策
徳川家光(とくがわ-いえみつ)は、慶長9年(1604年)7月17日、江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠の次男として江戸城・西の丸にて生まれした。 母は正室・お江(お江与、浅井長政の3娘)です。 江戸幕府が280年続… -
於大の方 松平康俊【徳川家康の母と子の運命】
松平康俊(まつだいら-やすとし)は、坂部城主・久松俊勝(ひさまつ-としかつ)の3男として1552年に生まれました。 この父・久松俊勝は、徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が再婚した相手であり、松平康俊はその於大の方(伝… -
鵜殿長照と人質交換となった鵜殿氏長とその弟である鵜殿氏次
鵜殿長照(うどの-ながてる)は上ノ郷城主・鵜殿長持の子で、母は今川氏親の娘ですが、生年は不明です。 鵜殿家は今川義元に従っており、1560年5月の桶狭間の戦いでは、2000の将として大高城の防衛に貢献しています。 こ…