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カテゴリー:徳川氏
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菅沼定忠とは 菅沼定利も
菅沼定忠(すがぬま-さだただ)は、田峯菅沼氏である菅沼定継の子となるが生年や母は不詳となる。 この田峯菅沼氏の祖は、土岐源氏の流れを汲むと言われる菅沼定成の長男・菅沼資長で三河・田峯城(だみねじょう)に入った。 その… -
松下源太郎とは~井伊直政の母が再嫁した松下清景と井伊家の関係
松下清景とは 松下清景(松下源太郎、松下源太郎清景、松下源左衛門)は 松下之綱(松下加兵衛之綱)の兄とも、松下常慶の兄ともされ、徳川家康の家臣。 井伊直政の生母である奥山親朝の娘(奥山朝利の娘とも?)と結婚したこ… -
昊天と傑山~龍潭寺の僧で南渓和尚の弟子の井伊家での活躍
2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」に登場する臨済宗妙心寺派の龍潭寺の僧侶である昊天と傑山は、井伊直政にとっても深く関係する僧侶です。 昊天 昊天(こうてん)は、龍潭寺の南渓和尚(南渓瑞聞)の一番… -
商業と文化と水の都・大阪の礎を築いた松平忠明と安井道頓
大阪の町は夏の陣で灰儘と化したものの、為政者と庶民の力によって活気ある商業の街として再生を果たす。その中心的な役割を担ったのが、大阪城主に就任した松平忠明と、縦横に流れる堀川の掘削事業に生涯をかけた安井道頓である。 … -
後水尾天皇~徳川幕府との熾烈な闘争に勝ち抜く~
戦国時代は、大阪の陣によって終わりを遂げ、念願だった泰平の時代を迎えた。 思えば、徳川家康はあらゆる手段を総動員して秀頼や淀君、豊臣恩顧たちに圧迫を加え続け、ついには豊臣宗家を滅ぼすに至った。 しかし、執拗なまでの強… -
徳川家康は大坂夏の陣で後藤又兵衛に討ち取られた?南宗寺に残る伝承の謎
NHK2016年の大河ドラマ『真田丸』も、いよいよ佳境を迎え、真田幸村と徳川家康の一騎打ちも迫ってきた。そんなクライマックスの舞台に用意されている大阪夏の陣には、ちょっと信じがたいミステリアスな伝承が存在することをご存じ… -
天海の解説 徳川家の参謀として暗躍した生涯 川越・喜多院の見どころ
天海(てんかい)は、1536年?に生まれたとされる天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれます。 出身は陸奥国会津郡高田の郷と考えられ、三浦氏を祖にする蘆名氏の第12代当主・蘆名盛高(蘆名修理太夫平盛高)の一族で、舟… -
戦国武将に学ぶ、立ち回り術~徳川家編~【電子書籍】
歴史を知ると言う事は、自分がこれから生きて行き、重要な判断するうえで、大きな参考になる場合が多々あります。 その昔にはどうなったのかを知っているのと、知らないのでは大違いです。 要するに歴史を学ぶと言う事は、自分の判… -
池田輝政と池田元助~現在の姫路城を築城した池田輝政の功績
池田輝政(いけだ-てるまさ)は、池田恒興の次男として1564年12月29日に清洲城下にて生まれた。幼名は古新、のち三佐衛門と改名。 母は、正室の善応院(荒尾善次の娘)とされる。 1559年生まれで5歳年上の兄… -
蜂須賀家政と蜂須賀至鎮とは~徳島にて阿波踊りを始めさせた戦国武将
蜂須賀家政(はちすか-いえまさ)は、蜂須賀正勝の子として1558年に尾張・宮後城にて生まれた。 母は松(大匠院、まつ)。 1565年頃、蜂須賀家成が8歳の頃、父・蜂須賀正勝(蜂須賀小六)が木下藤吉郎(豊臣秀吉)の…