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カテゴリー:徳川氏
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浅野幸長とは~武勇に優れた歴戦の勇将も38歳で疑惑死する
浅野幸長(あさの-よしなが)は、浅野長政の長男として1576年に近江の小谷城下(滋賀県長浜市)にて生まれた。 初名は浅野長慶、のち浅野長満。左京大夫、紀伊守と称した。 母は、彌々(やや・長生院、浅野長勝の娘)。 … -
忠義の士である岡部元信と岡部正綱とは~出世した岡部長盛も
岡部元信(おかべ-もとのぶ)は岡部長教(ながのり)、岡部真幸、岡部元綱、岡部五郎兵衛、岡部丹波守など色々と名前があるが、「元」の字は主君・今川義元から賜ったものと推定される。 父は岡部親綱(岡部玄忠)で母は不詳。兄弟に… -
松下常慶とは~謎の山伏も井伊家復興に大きく貢献する
松下常慶(まつした-じょうけい)ですが、NHKの大河ドラマ「おんな城主・直虎」においては、当初「なぞの人物」として描かれるかも知れません。 井伊家伝記によると、普段は浜松城下に住んでいたようですが、遠州・秋葉山の御礼(… -
徳川家康が姓を変え苗字を変えた「大人の事情」~松平から徳川姓へ
▼徳川家康は天文11年(1542年)に、三河国(現在の愛知県東部)岡崎城で小大名・松平広忠の嫡男として生まれた。 波乱万丈の生涯を経て、元和2年(1616年)4月17日に駿府(静岡市)で、病気のため亡くなったとされる。… -
松平信康と徳姫~小田原・万松院にある松平信康の供養塔
松平信康(まつだいら-のぶやす)は徳川家康の長男として1559年3月6日に駿府にて生まれました。正確には徳川信康と言うのが正しいです。 母は正室・築山殿(瀬名、築山御前、関口親永の娘)です。 幼名は竹千代で、… -
下曽根信照・下曽根信正・下曽根信由と下曽根氏の墓がある信照寺と下曾根浄喜
磯部・信照寺(しんしょうじ)は下曽根信正(下曽根三右衛門信正)が1599年に創建した真言宗豊山派の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来です。 その信照寺と、下曽根氏の関係を調べてみました。 信照寺は、下曽根信正が父・下曽根信照… -
大須賀忠政~8歳にして横須賀城主に抜擢された徳川家臣
大須賀忠政(おおすが-ただまさ)は、1581年、榊原康政の嫡男(一説に次男)として生まれました。 母は大須賀康高の娘です。 母の父・大須賀康高は、徳川家の重臣であり、大久保忠世や鳥居元忠にも劣らない武功を挙げてい… -
井伊直虎とは おんな城主になった訳と次郎法師を知ろう【井伊家】
井伊直虎(いいなおとら)とは・・。 戦国時代に「直虎」と男性の名前を称して家督を継いだ「女城主」とは? 生涯独身を貫いた井伊直虎が遠江・井伊家断絶の危機を救った女領主となり、家名を存続させた波瀾万丈の「女地頭」とも称… -
平野長泰~七本槍の勇名を馳せるもその生涯は?
平野長泰(ひらの-ながやす)は、平野長治の子として1559年に生まれました 先祖は鎌倉幕府の執権・北条時政で、その庶流である、北条時政から14代の横井宗長が、姉婿である平野業忠(平野主水正業忠)の尾張・平野村を継承して… -
御宿友綱 御宿勘兵衛の活躍
駿河・葛山氏の一族で武田家臣として活躍した御宿友綱と、大阪夏の陣にて徳川家康にも認められた武勇の士・御宿勘兵衛をご紹介させて頂きます。 御宿友綱と御宿勘兵衛 御宿友綱(みしゅく-ともつな)は医者でもあり、のち…