大岡弥四郎(大岡忠賀)【どうする家康】わかりすやく2分で解説

大岡弥四郎(大岡忠賀)

大岡弥四郎(大岡忠賀)とは

大岡弥四郎 (おおおか-やしろう)は戦国時代の武将だが生年や父兄などは不明。
大岡善吉(大岡忠善・大岡伝蔵)の甥ともされる。
史料によっては大賀弥四郎と書く場合があるが近年の研究では大岡氏らしいので、この記事では大岡弥四郎とさせて頂く。

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では俳優の毎熊克哉さんが大岡弥四郎を演じられる。


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計算が得意だったことから会計や租税の仕事をついたあと、三河国奥郡20余郷の代官へと出世した。
松平信康(徳川家康の嫡男)が三河・岡崎城主となると、大岡弥四郎、松平新右衛門、江戸右衛門七が町奉行として岡崎の治安を守っている・
大岡弥四郎の妻は於松(中根正照の娘)。

瀬名姫(築山殿)や譜代家臣らも信頼した頭脳明晰な武将だったようだが、秘めた野心を持っていたとされる。

遠縁だが敵対していた近藤利用が領地の加増を受けると、大賀弥四郎は自分のお陰だと誇張したとされる。
そのため、近藤利用はそんな加増は受けたくないと領地返上を申し出た。
徳川家康は大賀弥四郎を信頼していたが、徐々に悪行を耳にすることになり、大賀弥四郎は免職・家財没収になったと言う。


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これを逆恨みした大賀弥四郎は同僚の小谷甚左衛門・倉知平左衛門・山田八蔵らと共謀して、武田勝頼の重臣・真田昌幸と内通。
徳川家康が岡崎城に来たと呼びかけて開門させ、その隙に武田軍が東三河から岡崎へ侵攻して岡崎城を占領し、城主・松平信康を自害させると言う計画だったらしい。
また、武田氏の歩き巫女が岡崎城中にまで入り込んで築山殿(瀬名)とも連絡を取っていたとされる、築山殿は松平信康を三河国主にすると言う武田勝頼の提案に乗じ、謀反に参画したとされている。
しかし、真田昌幸の岡崎城乗っ取りの書状を持った武田氏の密偵の医師の減敬(滅敬)が、徳川家康の重臣・酒井忠次の命をうけた大久保忠世の家臣によって捕縛されて事が露見した。
大久保忠次の命にて野中重政(野中三五郎)が医師・減敬を処刑している。

山田八蔵は裏切って近藤利用とともに大岡弥四郎(大賀弥四郎)の謀反を徳川家康に直訴。
酒井忠次が処分の責任者になると、大岡弥四郎は馬にて浜松城下を曳き回しのうえ、更に岡崎城下で土に埋められ首を通行人に竹鋸で引かれ7日後に死亡したとされる。
また、妻・於松と4人の子は磔にされたが、2人の娘は徳川家康によって助命されて、のち尼僧になっと言う。
小谷甚左衛門は甲斐国へ逃亡。
松平新右衛門は大樹寺にて自害、倉知平左衛門は大久保忠世の家来・大岡清勝によって米河内城にて討ち取られ、山田八蔵は1000石の加増となった。


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この事件があったため大岡一族に配慮し、大岡弥四郎(大岡忠賀)は「大賀弥四郎」と言う名前だったと言う事にしたらしい。
なお、江戸時代に名奉行で有名な北町奉行・大岡忠相(大岡越前)は、大岡忠賀の従兄弟・大岡忠勝(大岡善吉の子)の後裔になる。

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