奥平家昌の解説~初代宇都宮藩主となった徳川家康の外孫

太田先生

奥平家昌とは

奥平家昌(おくだいら‐いえまさ)は、戦国時代の天正5年(1577年)に奥平信昌とその正室である亀姫(加納御前)の長男として生まれました。家昌の生母である亀姫は天正4年に奥平へと嫁いだ徳川家康の長女であるため、彼は徳川と奥平の婚姻が成立した翌年に生まれた記念すべき第一子でもありました。すなわち家昌は家康から見ると外孫で、その子供である徳川秀忠らにとっては年長の甥に当たります。


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なお、家昌には後に大久保忠常の妻となった妹が1人、松平家治を始めとした4人の弟がいますが、全員が信昌と亀姫の間に生まれた同母の弟妹です。前名を家綱、通称を九八郎と言ったこと以外にどのような少年時代を家昌が過ごしたかは詳細に分かっていませんが、天正18年(1590年)に父信昌が秀吉の命で国替えさせられた義父・家康に従って上野甘楽郡宮崎(群馬県)に移転しているため、彼も両親や祖父と共に関東へ移り住んだと思われます。

家康に愛された初の男孫

前述したように亀姫が信昌との間に産んだ最初の息子でもあった家昌は、家康の孫に当たる男子の中では最年長であり、元服の際には家康から偏諱を受けて“家昌”と名乗りました。他にも刀や鷹などを賜るなど祖父から大事に扱われていた家昌ですが、文禄4年(1595年)には豊臣姓を与えられています。

武勇に秀でていたと言われる家昌は豊臣秀吉没後の慶長5年(1600年)に勃発した関ヶ原の戦いでは甥の秀忠に随行し、真田昌幸が守る信濃上田城で戦っています。その翌年、関ヶ原本戦で活躍した父の信昌が京都の治安回復を評価されて美濃加納に10万石を賜ると、両親が弟の忠政を伴って任地へ赴いた際、家昌は拠点である上野に引き続き残留しました。

初代宇都宮藩主に抜擢、藩政改革に乗り出す

家昌に転機が訪れたのは、慶長6年12月28日(1602年2月19日)の事です。家康が北関東の要地である宇都宮藩の主を誰にすべきかと天海僧正に下問したところ、この頃既に大膳大夫になり、すなわち奥平大膳と呼ばれていた家昌を推挙し、一躍10万石の大名、宇都宮藩の初代藩主に取り立てられました。宇都宮城を創設したとされる平安期の有力者・藤原宗円(※1)から数えると26代目の城主に当たります。

祖父らの期待にこたえようと奮起したのか、家昌は各地から浪人を集めるなどして家臣団の再編成と改革に着手します。特に長篠の戦いで信昌を助けた功臣である七族五老(※2)を合わせて大身衆と改称した上で毎月交代の国政、そして有事には協力して事に当たらせるなど藩政に腐心しました。


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家康の孫という立場に甘んずることなく宇都宮の藩政に取り組む家昌でしたが、徳川家の一員としての立場も忘れてはいなかったらしく、本多忠勝の次女であるもり姫(本多氏、法明院とも)を正室に迎えたり、幕府による宇都宮大明神の造営では伊奈忠次と共に奉行となるなど、徳川家を盛りたてるために奔走します。なお、本多氏との間にはビン姫と忠昌の2子を儲けますが、慶長16年(1611年)に彼女と死別しました。

両親、そして祖父に先立って死去

慶長19年(1614年)、家昌は大久保忠隣の改易に連座した堀利重の身柄を預かる任務を拝命しました。この利重は、後に家昌の弟である松平忠明の配下として大坂夏の陣に参戦し、その後も家昌の子である忠昌の補佐をするなど、長きに渡って奥平氏と関わる事となります。また、宇都宮の城下町で毎月5日と10日に大膳市と呼ばれる市を開かせたり、本人も戦のみならず小鼓を愛好するなど家昌は文化・経済にも力を注いだ武将でした。

同年に起きた大阪冬の陣には出兵を命じられるも病のために参陣できず、その代わりに鳥居忠政らと江戸城の本丸で留守居を務めることになりますが、病状は回復することもなく、10月10日に38歳の若さで生涯を閉じました。両親ばかりか、何かと愛してくれた祖父の家康にも先立つ死でした。まだ若い彼の死が遺された遺族の老いた心身に響いたかは定かではありませんが、翌年には父信昌、翌翌年には祖父の家康が相次いで世を去っています。

奥平家昌は若くして世を去りましたが、子供達のうちビン姫は秀忠の養女となって堀尾忠晴の正室に迎えられ、忠昌は下総古河藩主を経て亡父が治めた宇都宮の藩主を再び務め、奥平氏の興隆に尽くしました。また、奥平氏が中津(大分県)に移領した後には奥平中興の祖として父方の祖父である貞能、父信昌と共に奥平神社の祭神として今も崇敬されています。


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※1:武士とする説、僧侶、社務職説もあり
※2:和田や土佐などの奥平家七族に、山崎・生田・兵藤・黒屋・夏目の五老の12家。

(寄稿)太田

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