平惟仲(藤原兼家の家司)をわかりすやく1分で解説【光る君へ】地方出身だが異例の出世をした公卿

平惟仲

平惟仲とは

平惟仲(たいら の これなか)は、平安時代中期の公卿で944年に生まれた。
父は美作介・平珍材(たいら の うづき)で、その長男。(桓武平氏高棟流)
母は備中国青河郡郡司の娘・貞氏。
父・珍材が赴任した美作国から京に戻る途中、備後国品治郡の郡司の女に通じ、平惟仲が生まれたという説がある。
成長すると弟・平生昌と共に平安京の大学寮に入った。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の佐古井隆之(さこいたかゆき)さんが平惟仲を演じられる。


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964年、平惟仲は24歳で文章生となり大学頭。
965年、刑部省から衛門府兼検非違使となり、官僚への道を歩み始めた。
967年、冷泉天皇のもと六位蔵人。

祖母の藤原元姫(藤原菅根の娘、中納言・平時望の妻)が、冷泉天皇・円融天皇の養育係を務めていた縁もあり、
972年、従五位下になると、美作国・筑後国・相模国・肥後国と10年以上国司を歴任。
これらの功績が認められ、980年頃、藤原伊尹の弟である摂政・藤原兼家に気に入られ、家司となった。
同僚の藤原有国と共に「左右の眼」といわれ重用されている。
<注釈> 家司(いえのつかさ)とは、家政を掌る職員の事で、現在の秘書に近い役割。

平惟仲は藤原兼家の家司として活躍すると昇進も早くなっている。
990年、藤原兼家が死去すると、執政の座を継いだ藤原道隆から引き続き厚遇されている。

平惟仲の妻は、この時期に結婚した藤原繁子(藤原師輔の娘・藤三位)と、もうひとり藤原忠信の娘がいる。

991年、蔵人頭になった平惟仲は、父・源珍材にも従三位の贈位を許可された。
992年、49歳で参議。

992年?に結婚した藤原繁子は亡き藤原兼家の異母妹で、藤原兼家の次男・藤原道兼の前妻でもあり、一条天皇の乳母を務めていた。

995年、藤原道隆が亡くなると、藤原道隆の末弟・藤原道長に接近。
長徳2年(996年)、藤原道長の推挙で権中納言、長徳4年(998年)には中納言へ昇進した。

997年、京・三条高倉にあった邸宅では、一条天皇の中宮・藤原定子が長女・脩子内親王を出産し、女房の清少納言も滞在した。

1001年、藤原有国の後任にて大宰府に赴任。
宇佐神宮の宝殿を封じたことで訴えられ解任されたが、罪には問われず中納言の官職は留任となっている。


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寛弘2年(1005年)、平惟仲は厠で倒れ腰を悪くし大宰府にて死去。享年61。
最終官位は中納言従二位。
平惟仲の遺骨は、弟・平生昌が大宰府から都に持ち帰ったと言う。

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