藤原惟通をわかりやすく1分で解説【光る君へ】母が違う紫式部の弟

藤原惟通

藤原惟通

藤原惟通(ふじわら の のぶみち)は平安時代中期の貴族で生年は不詳だが976年頃と推測される。
父は越後守・藤原為時
母は不詳で、異母兄に藤原惟規、異母姉に紫式部らがいる。

1009年に雑色。
1012年の秋頃に右兵衛尉に転じた可能性あり。            
1013年11月、梅宮神馬使となり、12月侍従に藤原道長の消息を伝えた。
1014年、右兵衛尉。
1015年、吉田神馬使。
1017年、春日奉幣使。


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年代は不明だが、藤原惟通の娘が藤原元範の妻になり、藤原国綱を儲けている。

1019年3月晦日頃、藤原惟通の旧妻宅に強盗入り、藤原惟通の娘が焼き殺されたとある。
同年、常陸介となり四位に加叙。
1020年、藤原惟通は常陸にて死去。
享年不詳だが40代前半だったと推測できる。

なお、一緒に赴任していたと考えられる、母(名前不明)と妻子は、京に戻らずそのまま常陸国の領地に滞在したようだ。

藤原惟通が死去した1020年閏12月、藤原惟通の未亡人が常陸の平為幹(平維幹の子)によって強姦されている。
平貞盛平将門の反乱を平定したあとに与えられたのが常陸・筑波の多気(北条)であり、平為幹の父・平維幹は常陸平氏としては大掾職を代々継承し拠点にしていた(多気大掾家)。
藤原惟通の母(名前不詳)が訴えを起こしたことで、平為幹は逮捕されたが、翌年には赦免されている。

後任の常陸介は平維衡(たいらのこれひら)だが、1020年、平維衡(平貞盛の4男)は相撲人を殺害する事件を起こしている。
この平維衡は藤原道長のもと、源頼信らと「道長四天王」と称され、伊勢守を拝領すると伊勢平氏の祖となり、のち平清盛を輩出する。

紫式部の家族構成

紫式部の家族は下記の通り。
()内は、NHK大河ドラマ「光る君へ」での配役(俳優)。

父・藤原為時(岸谷五朗さん)
母・ちやは(国仲涼子さん)
姉・名前不明
  紫式部 (吉高由里子さん)
弟・藤原惟規(高杉真宙さん)
異母弟・藤原惟通
異母弟・定暹


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母が違った場合、普段は住む家が異なっていることが多い。
そのため、異母の兄弟とはあまり親しくなかったと考えて良いだろう。
紫式部日記でも、異母の兄弟の話が出ることは稀である。

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