北畠具教と雪姫~信長に乗っ取られた伊勢国司の末路


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北畠具教(きたばたけ-とものり)は、伊勢国司・第7代である北畠晴具の子として1528年に生まれました。
母は室町幕府管領・細川高国の娘です。

父・北畠晴具は文武両道の名将で、志摩・吉野・十津川と勢力を拡大しており、参議にもなりました。
同様に北畠具教も朝廷からの信頼を受け、1537年には従五位下・侍従、1552年には従四位下・参議に叙任されて公卿となっています。
なお、北畠具教の正室は、六角定頼の娘・北の方で、1547年に嫡男・北畠具房(きたばたけ-ともふさ)が生まれています。
そして、1553年に父が隠居すると家督を譲られて、北畠具教(26歳)は、北畠家の第8代当主、多気城(霧山御所)主となりました。

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そもそも、北畠家は古い家柄で、鎌倉時代前期の公卿・中院通方(なかのいん-みちかた)の子・北畠雅家が、京都洛北の北畠(京都市上京区)に邸宅を構えて「北畠」と称したことから始まります。
鎌倉時代末期の北畠親房のときには、後醍醐天皇の建武の新政を支え、のち南朝の軍事的指導者となり、常陸・小田城にて「神皇正統記」を執筆したのも良く知られます。
その後、足利尊氏が幕府を開くと和解して、第5代・北畠政郷の代に、大和国宇陀郡分郡守護と伊勢国司に任じらました。

戦国時代の北畠家は、伊勢の戦国大名・長野稙藤(鎌倉御家人・工藤祐経の末柄)と長野藤定を支えていましたが、1547年からは北畠晴具が優位となって攻勢を掛けていました。
そして、1558年、長野家が降伏すると、北畠具教(31歳)は次男・北畠次郎(長野具藤)を、長野藤定の養子として送り、家督を譲らせています。
長野具藤は、長野御所とも称され、以後、伊勢・長野城にて北畠家を支えます。

1560年には、志摩の小浜景隆ら12人を助けて九鬼家の本拠地・田城を攻めさせ、城主・九鬼浄隆は討死し、弟の九鬼嘉隆は朝熊山に逃亡しています。

1562年5月5日に、長野家の長野稙藤が死去(享年58)していますが、同じ日に子の長野藤定も死去(享年37)してたいるため、北畠家が暗殺したものと推定されます。

このように北畠家の全盛期を築いた北畠具教は、1563年に隠居して家督を北畠具房(きたばたけ-ともふさ)に譲りました。
しかし、北畠具教はまだ36歳であり、大御所と称して二元政治を行っています。

なお、北畠具教は剣豪で、塚原卜伝や上泉信綱からも剣を学んだ他、柳生宗厳とはも親交があり、上泉信綱に宝蔵院胤栄などを紹介しています。

一方、隣国の尾張を1599年に統一した織田信長は、桶狭間の戦いにて今川義元を討ち果たし、美濃でも優位となったため、いよいよ伊勢を狙ってきます。

1567年、織田信長は、伊勢・神戸城主の神戸具盛を攻撃開始し、1568年、降伏した神戸家に織田信長の3男・織田信孝を養子として送り込みます。
伊勢・長野城にいた北畠具教の次男・長野具藤は、織田家の攻撃により、家臣・細野藤敦と対立した結果、敗れて多芸城に逃亡。
1569年に、長野具藤は織田信長に降伏して、織田信長の弟・織田信包を養子に迎え、以後は織田家に従いました。
圧倒的な兵力を誇る織田家に、北畠具教の弟で、木造城主の木造具政(40歳)も、滝川一益の調略を受け、滝川雄利と柘植保重の献策により降伏し、のち織田信雄の家老となりました。

この時、北畠具教は木造城を報復攻撃していますが、落とせずにいたところを、1569年8月20日、総勢7万といわれる織田勢が岐阜城を出陣し、23日に木造城に着陣したのです。

北畠勢の約8000は、大河内城などに籠ったため、木下秀吉(豊臣秀吉)らが8月26日から攻撃を開始し、大河内城の戦い(おかわちじょうのたたかい)となりました。

丹羽長秀、滝川一益、池田恒興、木下秀吉、稲葉良通、木造具政、滝川雄利、柘植保重(柘植三郎三右衛門、柘植三郎左衛門)らが包囲した大河内城は、天然の要害でしたのでなかなか落ちなかったようですが、10月3日、北畠具教は降伏しています。

そして、織田信長の次男・織田信雄が、北畠具教の娘・雪姫の婿養子となって、北畠家の跡目とされ、田丸城を新たに本拠としました。
ただし、この時、織田信雄はまだ12歳で元服前であり、北畠具豊と名乗るのは3年後の1572年の事となります。

大河内城を明け渡した北畠具教(42歳)は、1570年5月に出家して霧山城からほど近い三瀬館に入り、子の北畠具房は坂内城に移りました。

なお、織田信雄が家督を正式に譲渡された1575年6月までは、北畠具教がまだ実権は握っていたようです。

また、元亀4年(1572年)3月には、西上途上の武田信玄に、家臣の鳥屋尾満栄を派遣して「船」を出して協力すると北畠具教は密約を結んでいます。

その後、隠居城として伊賀・丸山城を築城しようとしていますが、武田信玄との件が露見したこともあり、織田信長と不和となったため三瀬館に引き上げています。

そして、織田信長と織田信雄の命を受けた旧臣の長野左京亮、加留左京進(藤方朝成の家臣)らが、三瀬館を襲撃します。
三瀬の変(みせのへん)と言います。
この時、子の徳松丸・亀松丸、家臣の大橋長時、松田之信、上杉頼義、南部教長、奥村秀長、安藤定勝、松永之光、蕀木秀隆、北條教光、大垣秀教、斎藤森清、設楽義教、鬼頭通方ら共々、北畠具教は殺害されました。享年49。

また、同時に長野具藤・北畠親成・坂内具義・坂内千松丸・波瀬具祐・岩内光安など北畠一族も、織田信雄の居城・田丸城にて殺害されています。

北畠具教の嫡男・北畠具房は、織田信雄(北畠信意)の養父であったため、ただ一人許されて、身柄は滝川一益に預けられ、伊勢・長島城に幽閉されました。

北畠勢の残党は北畠政成が籠った霧山城(多気御所)に集結しますが、羽柴秀吉・神戸信孝・関盛信ら15000に攻められて陥落し、北畠政成・波瀬具通らは自害して果てました。
また、織田信長の命を受けた日置大膳亮が、津田一安を斬殺しています。

こうして、織田家は伊勢を完全に支配下としました。

雪姫(千代御前)のその後

北畠具教の4娘で、織田信雄の正室になっていた雪姫(千代御前)は、三瀬の変の知らせを受けて、霧山城下(霧山御所)の東御所(六田館)にて自害しようとしたため、御所内の桜の木に縛りつけられたとあります。
しかし、伝承では、白狐が現れて雪姫を救い、姿をくらましたとあります。

その後、織田信雄から500貫の知行受けている記録があるようですので、まぁ、生き延びたと言う事は間違いなさそうです。

1583年に、嫡男・織田秀雄、1585年には、長女・小姫(おひめ)を産みました。

1590年1月、娘の小姫(6歳)は、徳川秀忠(12歳)と結婚したともされています。
これは、小田原攻めに際して、事実上の人質として徳川家康が、徳川秀忠を上洛させて豊臣秀吉の元に差し出した際に、豊臣秀吉が秀忠を元服させて「秀忠」と名乗らせ、おまけに小姫を養女にして嫁がせたものです。
ただし、小田原攻めのあと、豊臣秀吉は織田信雄を追放しており、この時、離縁となっています。
その後、小姫は北政所のもとで養育を受けますが、1591年7月9日に死去したとあります。
※佐々一義と再婚して寛永18年(1641年)まで生きたとする説もあります。

一方、雪姫(千代御前)の史料としては伊予・道後にて文禄3年(1594年)7月6日没ともありますが、動向はよくわかっていません。

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