北畠顕家とは~若くして散った北畠親房最愛の長男~

北畠顕家

南北朝時代は足利尊氏楠木正成など武士が戦った時代に思われがちですが、公卿や皇族など宮中に仕える人々も戦いに身を投じていました。
今回紹介する北畠顕家は、そうした貴族武将の中でも人気の高い人物の一人です。

北畠顕家(きたばたけ-あきいえ)は、後醍醐天皇に仕えた名門公卿・北畠親房の長男として文保2年(1318年)に生まれました。
元応3年(1321年)に3歳で従五位下を賜り、元弘元年(正慶元年、1331年)には西園寺公宗のもとに後醍醐帝が行幸したのに随行、見事な舞いを披露して褒賞に預かっています。

更に、翌年の元弘2年(1332年)には従三位参議、左近衛中将に任ぜられており、幼くして異例の出世を果たした顕家は、やはり若くして才覚を発揮したと言われる父と同様に、その優秀さを知られるようになりました。
元弘3年(正慶2年、1333年)の8月には建武の新政(建武中興)の政権下で従三位陸奥守となり、同年10月には親房に伴われて多賀城(宮城県)に派遣されています。


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こうした政治や軍事の職務を我が子が担ったことに対して親房は辞退を申し出ますが、後醍醐帝からの勧めもあり、義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥守に赴任させる破格の礼遇を受けたことを『神皇正統記』に記しています。

建武元年(1334年)8月には津軽に拠った北条残党を討って従二位、翌年の11月12日には鎮守府将軍に叙され、武将としての頭角も現した顕家は後醍醐帝の期待にも応え続けました。
同年の12月22日、不平武士の総大将として反逆した足利尊氏を討つべく、義良親王を奉じて奥州軍5万を率いて義貞の援軍に赴きます。

建武3年(1336年)の1月2日、顕家は足利義詮と桃井直常が守る鎌倉を奪い、6日には遠江、12日には近江愛知川に着くと言う強行軍を行い、13日に坂本で新田・楠木両軍と合流しています。
北畠顕家の援軍を得た官軍は各地で足利軍を打ち負かし、ついには尊氏を九州へと追いやったのでした。

顕家は勝利を治め、奥州への帰路に足利方の相馬氏を撃破するなどして東国を抑えていましたが、彼の前途に暗雲が立ち込めます。
5月、九州諸勢力と光厳上皇の援護を受けて逆襲して来た尊氏により、楠木正成が敗死に追い込まれたのです。

上皇を擁した尊氏によって義貞は敗れ、後醍醐天皇も比叡山に逃れる状況にまで追い込まれた朝廷は建武4年(1337年)、顕家に京都奪還の綸旨を送りました。
8月11日には再び親王を奉戴して霊山城(福島県)から出立した顕家は、12月24日には鎌倉を陥落させます。
翌年1月には土岐・上杉など足利軍を撃退しますが、軍の疲弊によって京攻略を思い留まり、伊勢へと戻りました。
また、この時に彼の軍は激しい略奪を行い、草木さえ残らなかったとも記録されます。


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伊勢へ戻った理由としては、顕家と義貞の不和、或いは北畠に味方した北条時行が義貞を嫌った、父の親房が支配する伊勢の諸勢力を頼った等、諸説が存在しています。
いずれにしても、この一件が災いした可能性は高く、顕家が率いる軍は各地で苦戦と疲弊を重ねてしまいます。

義良親王を天皇の在所である吉野へ送る、河内(大阪府)で戦力の回復を行って3月8日に天王寺の戦いで勝利するなど官軍の威信を保つのに務めた顕家は戦いの中で2つの上奏文をまとめました。
ひとつが5月10日に上奏した東国経営の文、もうひとつが後醍醐天皇を諌めた『顕家諫奏文』です。

それから12日後の石津の戦いで顕家の北畠軍は善戦もむなしく足利軍に敗れ、顕家も落馬したところを討ち果たされ、世を去りました。享年21歳。
彼の死に対して親房は『神皇正統記』の中で偉業を称えると同時に、最愛の長男を失った悲しみを露わにしています。


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20歳そこそこで死を迎えた顕家には様々な逸話が生まれ、先述した天皇の御前で舞った時の様子を記した記録から美麗な人物として捉えられ、各地の美術品を始めとして様々な小説や漫画などで美男子として描かれることが多くなりました。
大河ドラマ『太平記』で顕家役を後藤久美子さんが演じたことは、記憶に新しい方も多いことでしょう。

また、諌奏文で強く後醍醐帝を諌めた文才、武田信玄に先がけて“風林火山”の旗印を用いた伝説など、文武両道の将軍、優秀な文化人としてもこの若きヒーローは知られており、今も衰えることなくその魅力を伝え続けています。

(寄稿)太田

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