カテゴリー:徳川氏
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石川数正は、1533年、石川康正(石川康政)の嫡男として三河で生まれた。母は松平重吉(能見松平家当主)の娘。幼名は助四郎(与七郎)。初名は石川康正(父と同じ名)。
1549年、松平元康(徳川家康)の父・松平広忠の死…
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本多忠勝(ほんだ-ただかつ)は、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)にて本多忠高の長男として1548年に生まれた。母の名は小夜(植村氏義の娘)。
本多家は徳川家の本家に当たる安祥松平家に仕えており、三河安祥之七…
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井伊直政とは
井伊直政(いい-なおまさ)は、1561年2月19日、今川氏真の家臣・井伊直親の嫡男として、遠江国井伊谷(現在の静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の祝田で誕生した。幼名は井伊虎松(虎松)。
母は奥山親朝の…
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古田織部(ふるたおりべ) 古田重然(ふるたしげなり、しげてる)
このページでは「古田織部」に統一してご紹介したい。
古田織部は1544年、美濃国本巣郡の山口城主・古田重安の弟で古田重定(古田勘阿弥、のちに豊臣秀吉…
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大岡忠相(おおおかただすけ)は、1677年、大岡忠高の4男として江戸にて生まれた。父・大岡忠高は奈良奉行を務めた1700石の旗本。母は掛川30000石の藩主・北条氏重の娘。(北条綱成系統・保科正直系統)
大岡氏の出自は…
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黒田官兵衛(黒田孝高、黒田如水)は天文15年11月29日(1546年12月22日)の朝8時頃に、黒田満隆(のちの黒田職隆、小寺職隆)の嫡男として播磨国の姫路で生まれた。
父・黒田満隆は23歳で、母は、16歳だっとされる…
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戦国大名の多くは特に戦場において、命を奪われぬよう「影武者」を仕立てた事で知られるが、徳川家康も影武者を多用したとされる。
そんな事から、徳川家康は一般的に知られている晩年まで生きておらず、途中で亡くなった為、影武…
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丹羽長重(1571年~1637年)
丹羽長秀の子・丹羽長重の母は、織田信長は兄・織田信広の娘であった深光院。
そして、丹羽長重(にわ-ながしげ)は織田信長の実子である報恩院を正室に迎えており、珍しい事に丹羽家は親…
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使番12人衆より武田信玄の守役に登用された金丸虎義(金丸筑前守虎義)の5男として、1556年誕生。金丸惣蔵と称していたようだ。
そもそも金丸氏は、甲斐武田氏14代の武田信重の子・武田光重が途絶えていた金丸氏を再…
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母は…
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豪姫(ごうひめ)は、織田信長の家臣・前田利家の4娘として尾張・荒子城(愛知県名古屋市)にて1574年…
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