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タグ:小田原攻め
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高木清秀とは 水野信元に従い武勇を馳せた徳川十六神将
高木清秀(たかぎ-きよひで)は、戦国時代の武将で1526年に三河で生まれました。 通称は高城善次郎、高木主水助。 父は高木宣光で、母は酒井正信の娘となり、弟に高木清方がいます。 三河・高木氏は三河国紺碧海郡高木から… -
神奈川県の城跡一覧 武将関連お城・城郭・寺院・古戦場など一覧リスト
神奈川県にある城郭・館跡などの一覧のリストです。 下記に明記している城跡はすべて訪問することを只今目指しております。 一種のライフワークでございます。 順次、訪問先の紹介記事をリンクさせて参る所存で、2018年の完… -
豊臣秀吉の詳細解説 農民の木下藤吉郎が天下を取れた理由
実際の豊臣秀吉とは、どのような人物だったのか? 知られざる豊臣秀吉の「実像」をとことん追求 -
大友義統の解説 逃亡・改易・失脚・幽閉となった稀代の凡将?
大友義統(おおともよしむね)は、豊後の戦国大名である第21代当主・大友義鎮(のちの大友宗麟)の長男として1558年に生まれた。 母は、奈多夫人(奈多鑑基の娘)。 幼名は長寿丸。号は宗厳。将軍・足利義昭の偏諱を受け義統… -
仙石秀久の解説 武勇にも優れた情に篤い武将
仙石秀久(せんごく-ひでひさ)は、斎藤道三に仕えている美濃の土豪・仙石久盛(仙石治兵衛久盛)の4男として、1552年1月26日に加茂郡黒岩(加茂郡坂祝町)にて生まれた。 母は不詳。 仙石秀久は4男であったため、他… -
間宮善十郎 間宮康俊 北条家臣と間宮林蔵・杉田玄白の意外な関係
戦国時代の1569年、三増峠の戦いにて討死したとされる、北条家の家臣・間宮善十郎の墓と伝えられる塚が、合戦跡にあり、その場所からは1998年に渡来銭や大腿部に傷がある壮年男性の遺骨も発掘されています。 かなりマイナーな… -
結城秀康とは 文武両道の福井城主も若すぎる死を遂げる
結城秀康(ゆうき-ひでやす)は、徳川家康の次男として浜松の有富見村にある中村正吉の屋敷にて1574年2月8日に生まれました。 幼名は於義丸(おぎまる)で、母は永見吉英の娘・於万の方(長勝院)です。 於万の方は、徳川家… -
長束正家 豊臣家で財政を担当した算術に優れた武将
長束正家は、1562年に近江国栗太郡長束村にて誕生したとされる。 父の名は水口盛里(水口安芸守)とされるが、本姓は大蔵氏とも。 近江水口岡山城が落城し長束村に住んだ為、地名を取って長束氏を称したとも。 要するに、出… -
加藤光泰の生涯【経験豊富で貴重だった豊臣秀吉の家臣】
加藤光泰(かとう-みつやす)は美濃・斎藤道三の家臣・加藤景泰(70貫文)の長男として、1537年に美濃国多芸郡今泉村橋詰庄にて生まれた。 そもそも加藤家と言うのは、藤原氏流であり、源頼義の家臣・藤原景道が「加賀介」にな… -
戸沢盛安 鬼九郎(夜叉九郎)の異名を得るも25歳の若さで
戸沢盛安(とざわ-もりやす)は、勇猛果敢にして知略があり鬼九郎(夜叉九郎)の異名で呼ばれた名将で、1566年2月に、出羽・角館城にて戸沢道盛の次男として生まれました。 母は本堂城主・本堂親条の娘となります。 次男でし…