- Home
- 豊臣秀吉
タグ:豊臣秀吉
-
亀井茲矩の解説 残党を保護し大名へと成功した尼子家臣
亀井茲矩(かめい-これのり)は、戦国時代の尼子氏の家臣で、1557年に玉造温泉・玉造要害山城主である湯永綱(湯左衛門尉永綱)の長男として生まれました。 最初の名は湯国綱(湯新十郎)で、母は、石見・余勢城主である多胡辰敬… -
小牧・長久手の戦いの解説 池田恒興~長久手古戦場
小牧・長久手の戦い(こまき-ながくてのたたかい)を、討死した池田恒興の視点から紹介したい。 1584年、羽柴秀吉は、織田信雄に味方する徳川家康が浜松にいる留守を狙って三河への侵攻を決意。 羽柴秀吉の甥・三好秀次に… -
中村一氏の解説 秀吉に信任され対徳川家康の最前線を守った譜代の臣
中村 一氏(なかむら-かずうじ)は、織田信長、 豊臣秀吉に仕え豊臣政権の三中老の一人となった 武将です。 「生来果敢な人間で、どちらかと言えば村の暴れ者 だった」と言われていただけあり、戦巧者だった一氏。 … -
大友宗麟(大友義鎮)の解説 国崩し・豊後の王
大友宗麟は、豊後国(大分県)の府内にて、1530年1月3日に誕生。 父は豊後大友家第20代当主・大友義鑑。母は大内義興の娘。 幼名は塩法師丸。別号に宗滴、三非斎など。 傅役は重臣・入田親誠(津賀牟礼城城主)だが、の… -
前野長康の解説(前野将右衛門) 川賊から取り立てられ秀吉を支えた豊臣家臣団・最古参の武将
前野長康(まえの-ながやす)は、戦国時代の武将で、蜂須賀小六、生駒親正 と並ぶ秀吉の信頼の厚い最古参の武将です。 秀吉がまだ織田家で頭角を現す前から行動を共にし、 その栄達と一緒に出世。有名な合戦にはほぼ参加し… -
石田三成の解説 律儀で算術が得意だった才ある武将の印象も
石田三成の波乱に満ちた生涯について公開されているホームページは多い。ただし、年表式に石田三成を解釈しても面白くないので、小生は石田三成の人物像・逸話について調べてみた。その結果を下記に記載する。 -
日根野備中守(日根野弘就・延永弘就) 斎藤孫四郎らを殺害か?
日根野弘就(ひねの-ひろなり)は、1518年に生まれたとされる戦国時代の武将で、美濃・本田城主として斎藤道三に仕えました。 父は、和泉から美濃に移住した日根野九郎左衛門尉で、兄弟に、日根野弘就、日根野弘定、日根野盛就が… -
毛利新介(毛利新助・毛利良勝) 毛利長秀(毛利秀頼) 織田家の毛利さん
毛利新介・毛利新助(もうりしんすけ)は、織田信長の馬廻りとして仕えた織田家の家臣。 毛利良勝(もうりよしかつ)、毛利新介良勝、毛利新左衛門尉とも言う。 出自や生年は不詳で、織田信長の小姓だったとする説もある。 15… -
磯野員昌の解説 織田勢に肉薄した近江の猛将と磯野行尚
磯野員昌(いその-かずまさ)は磯野員宗の子として1523年に生まれた。 この磯野家は近江・湖北四家のひとつで、京極高吉に従っていたが、同じく京極氏の家臣であった小谷城主・浅井亮政が勢力を強める。 主家である磯野山… -
曲直瀬玄朔とは 先進性に富んだ医聖の後継者
曲直瀬玄朔(まなせ-げんさく)は、天文18年(1549年)に医聖・曲直瀬道三の妹を母として誕生しました。伯父の道三は名高い医師でありながら幼少期の記録が僅少ですが、この玄朔は道三以上に若い頃の動向は分かっておらず、幼い頃…